16.海&蓮:明日はデビュー戦

1/1
前へ
/16ページ
次へ

16.海&蓮:明日はデビュー戦

公開計量には間に合わなかった。 ここが蓮の生まれた街か。 新神戸で新幹線を降ると、三宮まで。 繁華街のホテルで、計量は行われたはずだった。 よく晴れた日の夕焼け、もう陽が暮れようとしている。 蓮たちもそのホテルへ泊まっており、足を向ける。 あれから…蓮にボクシングを勧められた後、もう半年も会っていなかった。 一人で生きていけたら。 蓮ははじめて”一緒に闘おう”と言ってくれたように思えた。 今まで誰も、同じ目線で生きようとしてくれる人はいなかった。 いつでも俺を思い通りにさせたいか。 俺がいつも世話をするか…。 だけど、だからこそ俺も一人の人間として、彼の前に立ちたいと思った。 同じジムで練習するのは違う。 俺は翌朝、蓮の家を出ると赤帽に電話をし、親父が仕事に出かけたのを見計らい、急いで最低限の荷物をまとめ、運び出した。 仕事も変え、昔の蓮のようにシェアハウスを借りた。 そして近くの総合格闘技のジムに入門した。 強くなりたい、俺が俺を許せるくらい、優しくなりたい。 そう、彼が自分を許したかったように…。 スポンサー契約もやめた。 蓮から距離を置きたかったというのもあるが、自分の生活で手一杯だったからだ。 あえて蓮のジムには行かず(メッセージは時折やりとりしていたが)毎日仕事をしては、帰りに自分のジムへ寄った。 そして、昔から好きだった絵を描くことを再開した、少しずつ…。 蓮はSNSを始め、スポーツニュースでも時たま取り上げられるようになっていて、離れても動向が少しは耳に入るようになっていた。 タイトルマッチが、ついに決まったのだ。 「絶対に行くよ」とメッセージを打った。 ”SRS席”リングサイドのチケットが送られてきた。 昨日、アマチュアだけれど俺の初めての試合が決まった。 白帯の柔術トーナメント。 尊敬を持って相手に対すると言われてきたけど、壊すつもりでいくんだろうな、俺の根っこの気性として。 久しぶりに蓮やチームの人たちに会ったら、差し入れを渡して、そのことも伝えたいと思った。 今も、一緒に戦っているんだと。 けど、試合前で迷惑になるかな…。 そんなことを考えていると…。 目の前の路地から、ひょっこりと蓮が姿を見せた。 あれ…。 いや、最初はわからなかったのだ、それが蓮だと 半年でこんなに変わるものだろうか。 明日が念願の日だと言うのに、今まで感じたことのない柔らかな表情をしているように見えた。  ーー びっくりした、海がいた。 声をかける。 「よう、どうしたんだ」 こんなところで会うとはな。 久しぶりの海は、なんだか少し痩せたけれど、すっきりと血色がよくなっているように見えた。 髪も短髪に切っていた。 「まるで別人だな」 なぜか自然に、笑顔が出るのがわかった。 人と話すのは、安心することなのかもしれない。 「こっちだってびっくりしたよ、爽やかになっちゃって。計量、どうだった」 「当然クリア、でも腹ペコだよ、今も、ほら」と持っていたおにぎりを見せる。 相変わらずわたわた何かを言おうとする海の肩を軽く叩く。 「ここが僕の街だったんだ、少し散歩して、皆のとこへ向かおう。久しぶりだな、元気だった」 どうしてすらすら言葉が出るんだろう。 けれどずっと昔は、こんなふうに話していたような気もした。 みなとのもり公園が近づくと、子ども連れの家族が目立つ。 その中から、突如…10歳くらいだろうか…男の子が駆け寄ってきて、笑顔で叫んできた 「井上選手、明日のタイトルマッチ、がんばってください!」 夕暮れの公園で、その子の顔はキラキラして見えた 「ファンです!いつもみたいに、ボッコボコにして、チャンピオンになってください!」 握手して、ねだってきた背中にサインを書いてやる 「がんばるよ…、けど」 「けど、ボコボコにされるのは、僕かもしれないけどな」 笑って、父親らしき人と一緒に去るのを、手を振って見送る。 「何て言ったの?」海が聞いてくる。 「いや、がんばるよってな」 公園の舗道を並んで、夕日が差してくるほうへ、ホテルの方向へ向かう。 「ねえ、俺も試合が決まったんだ、はじめての。君と比べたら、ぜんぜんしょうもないけれどね」 そんなことはないだろ、そう言ってやると「実は俺もそう思ってる」と笑う。 僕たちは、なんだか今日はよく笑うよな。 ふと、夕日の向こうから、マーチンが駆け寄ってきた気がした。 もちろん、そんなわけはなかった。 (ごめんな…) いつか、償いたいと思った。 何かは、わからないけれど…。 「どんな試合だって、怖いさ。相手が自分を、ぶっ殺しに来るからな」 「蓮らしくないな、そんなこと思ってた?」 本当に今日は、自分らしくないことが次つぎと口に出るな。 ふと…、横を歩く海の手に触れてみた。 海はこちらを向くこともなく、離れることもない。 瞬間、手のひらを握ってみた。 本当に自然に、蓮が握り返してくるのがわかった。 「公園を少し走ってこうぜ、身体をほぐして、みんなのところへ向かおう」 どちらともなく手を離すと、子どもたちが走り回る、夕暮れの公園のコースにゆっくり駆け出す。 海が”突然すぎる”とぶつぶつ言いながらついてくる。 こんな穏やかな気持ちだったろうか、毎日は。 そうさ、明日はタイトルマッチだ。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加