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「何してんだ、こんなとこで」
「僕たちも『卒業』したんだよ」
「…そうか。もうそんな歳なんだな。おめでとう」
幸ちゃんは僕たちに目を細めた。嬉しそうに見上げるレミの頭を優しく撫でている。
「引っ越しの途中なんだ」
「それで自転車で移動してるのか」
「うん。一台しかないから、俺が漕いでる」
「今日中に着くのか? 泊まるところは?」
「何とかするよ。野宿でもいい。律と一緒なら怖くないし」
「逞しいな」
幸ちゃんの笑顔に僅かに影が差した。僕は何だか少し寂しくなって慌てて言った。
「ねえ、幸ちゃん。もう部活終わりでしょ。どっか遊びに行こうよ」
「悪いな。日直だから、まだやることはあるんだよ」
「えー、つまんない。サボろうよ」
レミのめちゃくちゃな発言に、幸ちゃんが苦笑いする。
「まったく、レミは相変わらずだな。ま、せっかく会えたんだ。今晩メシ食いに行くか?」
「やったあ。幸ちゃんの奢り」
今どきスマホを持たない僕らに、幸ちゃんは待ち合わせの時間と場所、それと自分の携帯の番号を書いたメモを渡してくれた。自転車を押して今度は坂を降りていく僕らを、手を振って見送ってくれた。
「幸ちゃんは変わらないね」
二人になって僕が言うと、レミがため息をついた。
「そうだな。羨ましいくらいだ」
レミの声に滲むのは、敬愛と羨望とほんの少しの嫉妬。僕と同じだ。
幸ちゃんのことは大好きだけど、僕らの中でも彼はとても恵まれた境遇にいる。彼が優しいから波風が立たないけど、僕らが喉から手が出るほど欲しがっている、理想の生活を手に入れたのだ。
「やっぱり、焼き肉かな」
「え?」
「俺たちの門出だ。祝ってもらわなきゃな」
「そうだね」
レミがサドルに跨がった。
「下り坂だ。今度はしっかりつかまっとけよ」
「うん」
僕も荷台を跨いで座ると、レミの腰に両腕を回して自分にぐっと引き寄せた。じんわり伝わってくるお互いの体温は、惨めな僕たちを慰めてくれる。
「せーの」
ひゅっと耳元で風の音がした。自転車はジェットコースターみたいに、スピードを増して坂を下っていく。レミが歓声を上げた。
「このまま海に突っ込んだら、気持ちいいだろうな」
「やだー。まだ死にたくないー!」
レミの背中にしがみつき、風圧に耐えてかろうじて目を開けると、眼下に海が見えた。ガードレールを突き破ったら、本当に海へダイブだ。ぞくぞくするのは高揚のせいだけじゃない。
それでも、レミとなら恐怖さえも乗り越えられると思った。どこまでもどこへでも一緒に行けそうな気がした。
風の翼を手に入れた僕らは、一気に坂を駆け降りた。
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