旅立ちの朝

2/3

31人が本棚に入れています
本棚に追加
/26ページ
『仕事するって言っても、俺は何にも取り柄がないからな。体張るしかないな』  ここを出ると決めた時に、柔らかな前髪をかきあげながら、レミは他人事のように笑った。 時折ぎょっとすることを平気で言う彼には、怖いものは何もないように思えて、僕はそんな逞しさがとても羨ましかった。 『体張るって…』 『色んな意味でさ。ガテン系でもいいし、インストラクターでもいい』 『ああ、そういう…』  想像していたのと少し違っていてほっとした。それを見透かしたようにまた彼が言う。 『それか、いっそのこと愛人にでもなるかな』 『品のない孤児を買うような物好きはいないだろ』 『ひっでー』  レミがげらげら笑う。 ワンクッションあったおかげで、僕も動揺せずに済んだ。でも、そう言いながら一方で、彼ならあり得るかもしれないとも思っていた。 施設の職員である草太さんはいつも僕らに優しかったが、彼には秘密の顔があった。僕がはっきり見たわけじゃないし、レミもその事について何も言わない。困ってるのか傷ついてるのかもわからなかった。ただ、レミの背中に触れる彼の手に、ずっと違和感を覚えていた。 今でもあの夜の二人の会話は、記憶の片隅に残っている。 『おまえが悪いんだ。そんな目で俺を見るから』  いつもの優しい口調で、草太さんはレミに囁いた。降参するように挙げた両腕を押さえられ、壁際に追い詰められたレミは、臆することなく彼を見つめて微笑んでいた。挑むようなその瞳は、とても美しく妖しく見えた。 『ごめんなさい』 『そんなこと、ちっとも思ってないくせに』 『ふふっ』  ドアの隙間から覗いてる僕の方がドキドキしていた。 学校の授業をサボったレミに渡すはずの課題のプリントは、僕の手の中でしわくちゃになってしまった。 会話が途切れ、二人の影が重なるのを見て、僕はその場から逃げ出した。 「律。もう行こう」  ノックもしないでレミが部屋に入ってきた。 目の前の彼に焦点が合って、周りの音と景色が戻ってきた。 「荷物は?」 「俺は何もいらない」  オーバーサイズのパーカーと、ジーンズのラフな格好でレミは微笑んだ。足元は裸足にスニーカーだ。 「寒くないの」 「今日は二十度を越えるって」 「まだ朝と晩は冷えるのに。君のためにフリースが必要だな」 「コレも持っていこうよ」  ベッドに散らばったチョコレートをレミが目ざとく見つけて、ひとつを口に入れた。僕は残りをかき集め、それも鞄に詰めた。 レミが身軽な分、僕の荷物は増えた。それでも鞄ひとつで慣れ親しんだ場所から旅立つことに、緊張や寂しさよりも浮き立つ気持ちが上回っていた。 それはレミと一緒だからだと思った。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

31人が本棚に入れています
本棚に追加