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『仕事するって言っても、俺は何にも取り柄がないからな。体張るしかないな』
ここを出ると決めた時に、柔らかな前髪をかきあげながら、レミは他人事のように笑った。
時折ぎょっとすることを平気で言う彼には、怖いものは何もないように思えて、僕はそんな逞しさがとても羨ましかった。
『体張るって…』
『色んな意味でさ。ガテン系でもいいし、インストラクターでもいい』
『ああ、そういう…』
想像していたのと少し違っていてほっとした。それを見透かしたようにまた彼が言う。
『それか、いっそのこと愛人にでもなるかな』
『品のない孤児を買うような物好きはいないだろ』
『ひっでー』
レミがげらげら笑う。
ワンクッションあったおかげで、僕も動揺せずに済んだ。でも、そう言いながら一方で、彼ならあり得るかもしれないとも思っていた。
施設の職員である草太さんはいつも僕らに優しかったが、彼には秘密の顔があった。僕がはっきり見たわけじゃないし、レミもその事について何も言わない。困ってるのか傷ついてるのかもわからなかった。ただ、レミの背中に触れる彼の手に、ずっと違和感を覚えていた。
今でもあの夜の二人の会話は、記憶の片隅に残っている。
『おまえが悪いんだ。そんな目で俺を見るから』
いつもの優しい口調で、草太さんはレミに囁いた。降参するように挙げた両腕を押さえられ、壁際に追い詰められたレミは、臆することなく彼を見つめて微笑んでいた。挑むようなその瞳は、とても美しく妖しく見えた。
『ごめんなさい』
『そんなこと、ちっとも思ってないくせに』
『ふふっ』
ドアの隙間から覗いてる僕の方がドキドキしていた。
学校の授業をサボったレミに渡すはずの課題のプリントは、僕の手の中でしわくちゃになってしまった。
会話が途切れ、二人の影が重なるのを見て、僕はその場から逃げ出した。
「律。もう行こう」
ノックもしないでレミが部屋に入ってきた。
目の前の彼に焦点が合って、周りの音と景色が戻ってきた。
「荷物は?」
「俺は何もいらない」
オーバーサイズのパーカーと、ジーンズのラフな格好でレミは微笑んだ。足元は裸足にスニーカーだ。
「寒くないの」
「今日は二十度を越えるって」
「まだ朝と晩は冷えるのに。君のためにフリースが必要だな」
「コレも持っていこうよ」
ベッドに散らばったチョコレートをレミが目ざとく見つけて、ひとつを口に入れた。僕は残りをかき集め、それも鞄に詰めた。
レミが身軽な分、僕の荷物は増えた。それでも鞄ひとつで慣れ親しんだ場所から旅立つことに、緊張や寂しさよりも浮き立つ気持ちが上回っていた。
それはレミと一緒だからだと思った。
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