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二人で部屋を出てホールに向かった。日曜日の朝はみんないつもより寝坊するから、まだ誰の姿も見えない。
『夜が明けたらすぐに出ようよ』
レミがそう言ったのは、みんなの顔を見たら別れが辛くなるからってことだった。
昨日のうちに送別会は済んでいた。世の中の仕組みをまだ知らない小さい子どもたちは、僕とレミがいなくなるのをとても残念がっていた。育なんてレミと一緒に寝ると言って、昨夜はずっと離れなかったほどだ。
誰もいない食堂のテーブルで、休日でも早起きのハルが本を読んでいた。僕たちに気がつくと、顔を上げてひらひらと手を振った。僕らも笑顔で手を振り返し、学校へ行く時とは違う高揚感で玄関から外へ一歩を踏み出した。
もうここには戻らないんだ
もう少し感慨深いかと思っていたけど、拍子抜けだった。昨日までの門限もなく、今日からは誰にも咎められない。この時の僕は目の前の自由に夢中で、やがて来ることになる孤独の寂しさなんて想像もしていなかった。もっとも、それはずっと後になってからのことだったのだけど。
駐車場の端に真新しい自転車が一台停められていた。
鍵は付いたままだ。レミは当然のようにハンドルを握りしめ、サドルに腰かけた。
「いいね」
「新品がもらえるなんて思ってなかったよ」
「最後だしな。にしても、一台だけか」
ここは自然が多いと言えば聞こえはいいが、海の他には何もない田舎町だ。引越しの費用もかかるし、電車で移動するとなれば交通費がかさむ。
『せっかく海がそばにあるんだし、見ながらゆっくり行こうよ』
そして何よりレミがそう言って、僕らは自転車を選んだ。
「違反しろって言ってるようなもんだよな」
施設の人たちは基本的にみんな優しい。
だけど、優しさだけではやっていけない大人の事情は、自分の歳が彼らに近づくにつれて見えてくる。二人の人間に一台きりの自転車は、決して「優しさ」ではなかった。
『卒業生』のほとんどは何らかの仕事につく道に進むが、会社の寮に入ることが多い。お金も手間もかかないその進路がいちばんコスパが良いらしい。
僕らは部屋を借りるのにお金をかけすぎてしまったから、交通費までは手が回らなかった。彼らの罪悪感が新品を用意させたとも言える。
僕は荷台に横向きに腰かけた。
レミは細いけど背が高くて意外と体力がある。役割は前もって決めてあった。僕は会計係だ。
『レミに任せてたらいくらあっても足りないよ』
『俺と年中一緒にいるヤツが、几帳面な訳がない』
レミにはそう言って笑われたけど。
「行くぞ」
レミは立ち上がって、大きく上体を揺らしてペダルを漕いだ。自転車が軌道に乗るとまたサドルに腰を据え、それが合図かのように僕はレミの腰に腕を回して力を込める。また少しだけ草太さんを思い出した。びしょ濡れの犬が体を震わせるように、過去をふるい落として、レミは海沿いの国道を走り出した。
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