町のゾンビと田舎のゾンビ

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 昔むかし、ゾンビがふたり、おりました。  その当時は、ふたり、とは言わず、こう言ったものですが。 「昔むかし、ゾンビが二体、ありました」と。  ふたりは都会におりました。  たくさんの無関係なニンゲンが縦横に交錯する、しかしそんな束の間の奇蹟もすぐに忘れ去られてしまうような、たくさんの命がひしめく大都会に。  ふたりは集合住宅の隣どうしに住んでおり、ゾンビになるまでは、特に知り合いでもありませんでした。通路で会えば小声で挨拶する程度です。  ヒトにとっての災厄は密やかに、しかし迅速におのれの陣地を拡大して行きました。  まだヒトだった頃、目の前の小さな画面越しに選択されたニュースのみを見る習慣がついたふたりには、その全容はまったく見えておりませんでした。  ふたりとも、気づいたら自室のアパートで、ゾンビになっていたのです。  突然の大襲撃の後で、完全にぶち抜かれた壁をはさみ、ふたりは真正面で向き合いました。  お互いにゾンビなので、お互いを襲う必要はありません。  ただ、ゾンビA(エイ)はゾンビB(ビイ)に、小さな声で、やあ、と言ってから目をそらしました。  ビイは口の中でこんにちは、とつぶやいてかくりと頭を下げました。  エイとビイとの不思議な共同生活が始まったのです。  ふたりはそれぞれに、またはともに外に出てヒトを襲い、仲間を増やすために噛みつくか、食糧として食らいつくすか、その時々、思いのままに毎日を送っておりました。  ヒトの中にはゾンビを亡ぼすべく立ち上がった者たちもおり、『ハンター』と呼ばれておりました。  それでも、ふたりはハンターとのし烈な戦いをも何とか潜り抜けて……    ある日、エイが言いました。ソファに寝転がったまま。 「つかれた」  ビイはすでに水の出ないシンク前になんとなく立っていましたが、その声に顔を上げて 「なにが」  そう尋ねました。  ビイは、当時のゾンビにしては饒舌な方だったのでさらにこう続けました。 「ヒトおおい、くいものおおい、しげきおおい、まち、たのしい、なぜつかれた」  はあ、とエイはため息をついて立ち上がります。少しよろめいたのは、疲れのせいなのか、ゾンビだからなのか、判然としませんでした。そして、声を絞り出してこう言ったのです、 「はんたー、こわい」  と。  ビイはしばらく下を向いていました、ただ単に考えこんでいたのか、ゾンビの習性なのか、それも判然としませんでした。しかしビイは顔を上げてこう答えました。 「わかった」  ビイはぎくしゃくと進み、エイの傍に寄り添いました。 「わたし、いなかで、うまれた。しりあい、いなかに、いっぱいいた。いなか、くわしい、エイと、いなか、いく」  エイは顔を上げました。目線は少し上の方でしたが、確かにビイのことばに反応したのです。 「ありがと」  エイはビイの両手を握ります、ぐしゃ、と湿った音がしましたが、気にする者は誰もおりませんでした。  ふたりはよろめき歩き、歩いてあるいて歩き続け、13日後、ついに、ビイのなじみの田舎に着きました。  田舎の村の跡を通り抜け、森に入ったふたりのゾンビは、その間、ハンターはおろか、ヒトに出あうことすらありませんでした。  その代わりシカやタヌキ、サル、リスなどのけものたちには次々と出あいました。  田舎でもゾンビが出没したために、ヒトはもうほとんど残っていなかったのです。そして、ゾンビと化した者たちも更なる犠牲者を求めて町に出てしまっていました。  エイとビイは、森のけものたちと仲良く暮らしました。ゾンビはヒト以外の動物には、食糧としてはあまり興味を持たないものなのです。  ふたりは森のぽっかりと開けた場所に寝転び、木漏れ日を浴び、慈しみの雨を体いっぱいに受け、時折訪れるけものたちと昼寝をし、静けさの中で平穏に暮らしました。  ヒトを襲うのがゾンビの性ではありますが、ヒトがいなければいないで、まあ、暮らしてはいけたのです。  しかしある日。  エイが渡したイチジクの実を、手に持ったままビイはずっと下を向いていました。 「どした」  エイがビイの顔をぎこちなく覗き込みます。 「いちじく、うまいよ」  ビイは答えません。 「よくうれてて、うまいよ」  エイはここに来てからすっかり(ゾンビ比で)明るくなりました。口数も(ゾンビ比で)増えてきました。しかし逆に、ビイは無口になっていたのです。  ビイがようやく、顔を上げました。目の下が涙らしき体液で濡れています。 「わたし、まちにかえる」  エイも、取り囲んでいたけものたちもいっせいに固まりました。ビイは続けます。 「いえなかった、ごめん、わたし、ハンター、こわくない、むしろ、おいしい、すき、まち、しげき、すき、がまん、もうむり」 「いちじくは」 「むしろきらい」  エイは、持っていた自分のイチジクをぽたり、と落としました。  長い静寂の後、 「おなか、すいた」  そうひとことつぶやいてからビイはきびすを返し、よろめきながら森を出て行きました。 …… 「それからずっと、エイはひとりっきりで、森のけものたちとずっと平和に暮らしました。 ちょっきんぽったん、うでおーちた」  えーっ? と子どもたちの声がてんでに響く。 「じいじ、それでおしまい?」 「そうさ、おしまい」 「ビイは、どうなったの」 「……伝わっておらんなあ」 「ビイが、かわいそう」  一番前に座っていた小さな少女が、涙声でつぶやく。 「どうなったか、分かんないなんて」 「でもなあ」  じいじと呼ばれた『語り部』は、よっこらしょ、と立ち上がった。はずみで片脚がもげた。 「ビイのような、町にいたゾンビのおかげで、私らも『しんか』したのさ……こうやってね」 「それってさ」真ん中の少しませた感じの少年が立ち上げる。 「しんか、ってさ、知ってるよオレ。キンギョが雨が降ると水たまりから出てその辺を歩き回ってるのも、『しんか』なんだよね?」  まあまあ、いい子にしてたらまた他の話をしてやろう、とゾンビの語り部は小さなゾンビたちに、 「ワシは、ちょっくらハンターでも食ってくるから、またな」 そう言って小さく手を振り、路地のどこかへと消えていった。 ちょっきんぽったん、うでおーちた。
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