ソラリア・ドッペルゲンガー

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ドッペルゲンガーという言葉は、なんとなく知っていたが、改めて辞書で調べてみると、思っていたのとは少々違う意味合いであった。 そもそも私がその言葉の意味を確かめようなどと思い立ったのには、先日いささか不可思議な出来事に遭遇したことが関係している。 2月も終わろうという頃。 小春日和というに相応しい穏やかな風の吹く日であった。 私は長らく世話になっていた社員寮を引き払い、小高い丘の上の住宅街の外れの、小さなアパートへ引っ越したのだ。 その部屋は、南側に光浴室を備えた1DKだった。 隣の同僚に気を使う必要もなく、どれだけ遅い時間に帰宅しようが、毛の長い猫を何匹飼おうが自由だ。猫は毛の短い方が好きだが。 前に使っていた大半の家具は寮に備え付けのものであったので、服と食器と寝具くらいしか持ってくるものはなかった。 これから買い揃えることにして、ひとまず空の新居で昼寝でもしてみようかと思ったのだ。 目を閉じると、1畳ほどの光浴室ですぐにまどろんだ。 その時だった。 私は不思議な夢を見た。夢など全て不思議なものだが、その時みた夢の舞台はやってきたばかりの新居で、そこには一人の住人がいた。 住人は、姿は朧げで、声も発さず、捉えどころのない存在だったのだが、何故か思ってしまったのだ。あれは誰でもない、私だったのではないかと。 ドッペルゲンガーというのは、自分の姿を自分が見るということらしい。鏡で見るのではなく、実際に自分の目で、目の前に自分の姿を見ること。鏡で見る自分は実際の姿ではない。前後が反転した虚像だ。左右反転だと思うのは、人間や多くの生物が左右対称の造形をしていることによる錯覚であり、実際には前後ろが逆転した姿だ。話が逸れたがつまり、反転しない自分の姿を自分で見るなど、ありえないということだ。ドッペルゲンガーというのは、幻覚の一種なのだ。 その部屋の住人は、光浴室の床に座り込んで何か書き物をしていた。夢の中で私は何者でもなく、言うなれば空気のような存在として漂っていた。 何かに悩みながら延々と書き込んだ末に床に投げ出されたノートを、ただ1ページめくる力もないのだ。 彼は花が好きなようだった。春と呼ぶには早い2月。時期外れに咲かせた赤紫のユリ科の鉢が白い壁紙の前に置かれ、玄関にはコットンフラワーの枝を飾っていた。洗面所の窓枠には花瓶がいくつも並んでいる。春になったら、自生する野の花でも摘んでくるのかもしれない。家の中に置いた鉢を、毎朝光浴室で日光浴させてやるのかも。彼自身もまた、静かに陽射しを浴びて、植物のような人だと思った。 ドッペルゲンガーという言葉で思いつくのは、自分と同じ顔の存在がどこかにいて、その姿を見ると自分が消えてしまうという、都市伝説のことだろう。 白檀の香りがしていた。それに気づいたのは、私自身よくその香りをかいでいたからだ。夢の中で匂いをかぐなど、思い返せば妙なことだ。匂いも錯覚なのだろう。「白檀の香りだ」と思った記憶だけが残って、嗅神経は反応していないはずだ。実際、彼の触れた花の香りは分からなかった。 本棚には、文庫本から図鑑まで、さまざまな本が詰まっていた。 カフカや太宰といった小説が多いようだが、一角にはがん治療に関する新書や闘病記があった。埃をかぶっていた。ユング、河合隼雄、フランクルもあった。本棚に納まらずに、何冊もの絵本が床に置かれていた。レオレオニや谷川俊太郎が多いようだった。 どれくらいの時間、そうして漂っていたのだろう。彼は、ここを内見に来た時に私がしたのと同じように、光浴室に寝そべって、目を閉じていた。ペンが手からこぼれて転がった。彼の文字は、みみずの這うような乱れた癖字で、日本語なのだろうがとても読めない。 長い前髪がうっとおしくないのだろうか。 彼の目元を覗き込んでいた。色素の薄い髪を通った陽光は、カーテンを通すように柔らかに瞼の丸みを照らしていた。まつ毛が揺れるとカーテンも揺れる。 そして。 彼と、目が合ってしまった。 気づくと私は床に寝そべっていて、時間は三十分も経っていなかった。 ここには花も本も、香もない。 私が持ち込んだボストンバッグとダンボールだけだ。 夢だったのだろう。そう思うことにした。 でなければ、私は私と目が合って、消えてしまっていたはずなのだ。 しかしもし違うとすれば。 消えてしまったのは、彼の方だったのかもしれない。 終
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