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嶺人はしばらく口をきかなかった。だがやがて、ささやかな波音に紛れ込ませるように打ち明ける。
「美雨が自分の足で俺の元へ来てくれるのが、こんなにも嬉しいとは思わなかった」
鼓膜を震わせる声は熱に掠れていて、美雨の胸を焦がす。
気づけば美雨も、ぎゅっと嶺人の背を抱きしめ返していた。
「私もです。もっと歩けるようになったら、色々な場所に行きましょう。そして最後に、嶺人さんの隣に帰ってきます。そうできるのが、何よりも嬉しいのです」
嶺人は何も言わず、ただ愛おしそうに美雨を抱き続ける。美雨はその胸に頭を預け、眠るように瞼を下ろした。
——岬グループ元帥の退任を、美雨が知るのは翌朝のこと。
今は愛する人の腕の中で、彼女は微睡む。
〈了〉
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