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(この女にこれ以上、つべこべ言うのも面倒だ)
この女、ああいえばこう言うし、言葉の切り返しだけはとても素早い。下手に言い返して話が長くなるよりも、ちゃっちゃと払って早く引き揚げたかった。
……気分は乗らないが。
(────……払えば終わる)
そう、自身に言い聞かせ、小さく息を吐きながら、財布から紙幣を引き抜き渡す。
「はぁい、どうも♡」
ぺらりと渡された紙幣を受け取った彼女はご満悦だが、エリックはいまだに悪徳商法にでも引っかかったような気分に包まれていた。
ああ、なんとも居心地が悪い。
街中で声を張り上げた自分もそうだし、勘違いをしたのもそうだし。
(…………くそ、こんなはずじゃなかったのに)
愚痴をこぼしながらも、エリックがくるりと身を翻そうとした、その時。
「で、お名前は?」
「…………いや、今払っただろ?」
声かけに思わず振り向き言い返す。
『ツケ』ではないのなら名前の記入など必要ないはずだ。これ以上彼女に用はないし、名を名乗る義理もない。
しかし縫製店のミリアは、先ほど開いた台帳を指でトントンと指しながら、ハチミツ色の瞳を向けて言うのである。
「お直しリストに書かなきゃなの。ほら、ここ。書いて?」
「…………ああ。はいはい。……なら、先に言ってくれないか? いきなり言われても混乱するんだけど」
「”お直しリストに記載が必要ですので、お客様のお名前をお書きください”」
眉をひそめ愚痴りながらペンを手にするエリックに、丁寧な文言を並べるミリア。その言い方にはきちんとトゲが混ざっている。
(……『言いかた』)
「…………………………住所は」
「ツケじゃないから必要ないよ〜」
今までの記載を目視で確認し、念のための質問を頭で受けながら。
よそよそしい返しも溜息で流して、台帳にペンを走らせて──
「…………『エリック・マーティン』さん」
「………、なに? そんなにじっと見て」
「…………いや? 別に何も?」
台帳をじっ……と見つめ呟く彼女に、エリックは眉間にシワを寄せて問いかけた。
(スペルでも間違えたか……?)
とエリックが不思議そうに目を配らせるが、スペルはあっている。静かに首を振った彼女の意図が掴めず、彼がさらに眉根を寄せた──その時。
──ぎっ……、ぎいぃぃい……
『?』
彼の背後。しばらく沈黙していた入り口の扉が、ぎぃっと軋んだ音を立て『彼女』は、よたよたと姿を現した。
「……こんにちわぁ」
「──あぁ! ロべールさん!」
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