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「──あぁ! ロべールさん! ようこそお越しくださいました〜!」
シワがれた、細く穏やかな声と共に、杖をつきながら現れた『ロベール』と呼ばれた初老の女性を目にして、縫製店のミリアは勢いよく立ち上がった。
完全に声のトーンを変え、隣を抜ける彼女を視線で追いかけるエリックをよそに、ミリアは店舗入り口まで躍り出ると、ロベールに目線を合わせてにっこりと笑う。
「今日はどうされました?」
「…………こちらのお方は、おきゃくさん?」
「ええ、はい。はじめてお越しくださいましたので、当店のご説明をさせていただいたところです」
(…………まるで別人だな)
完全に「営業スマイル」「接客応対・上品モード」の彼女に、胸の中で呟くエリック。流れるように思い出すのは先ほどまでの彼女だ。
自分に向けた、『500メイル頂戴しまーす♡』というちゃっかりした笑顔とか。
『それはボタン代ですねぇ~』という『甘い甘い』と言わんばかりの顔とか。
『最後まで助けろ!』と叫んだあの顔だとか。
(……………一体、どこに消えたんだよ)
と、ぼっそりこぼす。
今日、この僅かな時間で、どれだけ彼女の『声色』を聞いたことだろう。その代わり映えに感服さえするエリックだが、次に彼の胸に湧き出たのは、虚しさと冷めた気持ちだった。
瞳を反らして、ささやかに湧き出る虚しさと共に吐き出し、憂う。
(…………まあ、特別なことでもない)
”──人なんて、誰しもこんなものだろう。素顔を隠し・自身も偽り。騙し・騙され、虚像に塗れて生きている。”
「…………」
そう、黙って目を伏せるエリックを目にして、初老のロベールは重そうな瞼をうっすら開けると、ミリアに向かって問いかけるのだ。
「……あらぁ。おじゃまだったかしら?」
「いえいえ! ちょうど、良い頃合いでしたよ♪」
上質なケープに身を包んだロベールに、にっこりと上品に微笑むミリアは、そのまま。エリックに向き直り背筋を正して腰を落とすと
「………………それでは。『エリック様、本日は有難うございました。またのご用命をお待ちしております』」
スカートの前を少しつまみ上げ、ゆったりと送る『見送りの挨拶』。『また』という名の『さようなら』を送り、彼女は身を翻した。
──それは、夏も近づく晴れたある日の午後。
「……で、ロベール奥様? 今日はどのようなご用件でしょうか?」
「今日はねぇ、ミリアちゃんにいいものを持ってきたのよ~」
ロベールと彼女──ミリアと呼ばれた女性の会話を聞きながら、エリックは、店を後にした。
ぎっ。と軋む扉の音を後ろに、燦々と降り注ぐ光に暖められた石畳を踏みしめ、歩く彼はまだ、知らない。
この出会いが、彼自身を、光の下へ導くことを。
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