体育祭の話

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「あの、俺の側の問題っていうのは」 「うん」 「元哉さんがモテるのは仕方ないというか、別にわざとしてるわけでも浮気してるわけでもないと思うので。だからいちいち妬いててもキリがないし、俺がそういうものとして受け入れるしかないというか、俺が解決しないといけない問題だと思って」 「あー……なるほど、そういうことか」 「だから、まあ難しいんですけど、でもそのうち慣れるとは思うので。それまではまた迷惑かけないように気をつけます」 そんな日が来るのかどうかは謎だったが、俺が努力するしかないところだろう。 と思ったのだが、先輩は難しい顔をした。 「いいよそんな一人で我慢しなくて。愚痴でも文句でも何でも言ってよ」 「でも面倒くさいじゃないですか。毎回俺が文句言ってたら」 「面倒じゃないよ。それに一人で溜め込んでそのうち俺と付き合ってんのが嫌になられたらその方が困る」 「俺はなんないですよ。それより俺の嫉妬にうんざりされたら嫌だし……」 「しないって」 「続いたら分かんないじゃないですか。嫌になってからじゃ遅いし」 ふと思い出したのは安田の話だった。何もやましいことがないのに責められたり拗ねられたりが続くとちょっとしんどい時もあると。 別にそれで安田が彼氏のことを嫌になっているわけではないし、先輩がそれでも俺のことを好きでいてくれるうちはいいんだろうけれど、それがこの先永久に続くとは言い切れない。 やっぱりもう付き合いきれないと先輩が思う日が来ないとは言い切れなくて、それを想像するとどうしても怖くなった。 口をつぐむとふと沈黙が落ちて、先輩も同じことを想像しているんだろうかと思ったが、 「俺も何回か面倒くさいこと言っただろ。嫌になった?」 尋ねられたのは別のことだった。 「なってないですけど……」 「続いたら嫌になりそう?」 「いや、なんないと思います」 「それだってそうだし。何か言われた? ごめんな、面倒くさかっただろ」 視線で右肩をさされ、思わず手を当てる。 今はもうジャージの下に隠れているけれど、湿布を貼ってもらった部分のことだろう。 「まあ、確かに言われましたけどでも別に、面倒くさくはないです」 確かにやたらと視線を集めてしまったし、多分大勢にこの下を察されてしまっているのがよく分かっていたたまれない気持ちになってしまったのは事実ではあった。 ちなみに偶然すれ違った上野だけは純粋に痛めたのかと心配してくれてちょっとほっとしたというかいい奴だなと思ったのだがそれはまあ置いておくとして、だからと言って別に先輩の行為自体が重いだとか面倒くさいとか嫌だとか思う気持ちはこれっぽっちもなかった。 けれど先輩は重苦しい表情のまま眉を下げた。 「この時期に勝手にそんなんつけちゃって、重いのは絶対俺の方なんだよ。だから我慢して気をつけなきゃいけないのは本当は俺だよな」 「そんなことないですよ。俺は全然、正直嬉しいし、いや嬉しいって言ったらあれですけどでもまあ、別に我慢しないで何でもしてください」 「俺だって一緒だよ。思ってること全部聞きたいし、一人で溜め込まないでほしい」 「あー……」 そう言われてしまうと、もう何も言えなかった。 確かに俺は先輩に我慢なんかしないで好きなように振る舞ってほしくて、嫉妬心や独占欲のようなものをぶつけられたらそんな思いをさせるのは申し訳ないなと思いつつもどうしても嬉しくなってしまって、何を言われたって絶対嫌いになんかなるはずがないと、何でも受け入れたいと思っていて、それはもしかしたら先輩も同じなんだろうか。 同じように、俺のこういう重さや面倒くささや、そういう部分もひっくるめて全部好きだと思ってくれているんだろうか。 胸がじわりと熱くなったのは、きっと気のせいなんかではなかった。 「……あの、うまく言えないんですけど」 「うん」 「なんか、あー……めちゃくちゃ好きです……」 本当はもっと上手いこと言いたかったが、結局口から出たのはそれだけだった。 先輩は黙りこみ、そしてしばらくすると手で顔を覆ってしまった。 「元哉さん?」 「……ごめん、ちょっと噛み締めてた……」 「え?」 「いや、嬉しくて……本当は振られるのも覚悟してて、どう引き止めようかと思いながら来たんだけど」 「そんな。振りませんよ」 「だってなんか嫌な思いばっかりさせてるし、しかも同じことを繰り返してるしさ、進歩がないよな。ごめん、大事にするって言ったのに」 「いや十分大事にしてもらってますよ。むしろ進歩がないのは俺の方で、元哉さんがあの人に対してその気がないのも分かってるし、だから俺の心が狭いせいというかもうちょっとどんと構えてられればいいんですけど」 「それに関しては俺もそうだから何も言えないけど……あのさ、付き合ってるってちゃんと言おうか? 萩尾達に」 「それは、……でも、それはさすがに」 「ちゃんと話せば分かってくれるよ」 と先輩は言ったが、正直どうなんだろうかとは思った。ただの噂話よりも、実際接している先輩の話の方が信用できて然るべきだとは思うけれども。 「いや、やっぱり大丈夫です。変に目立つのも困るし、二人きりの時に独り占めできればそれで」 「……そっか」 目が合った先輩は、少し寂しそうな、でも少し嬉しそうな複雑な表情で微笑んだ。 言い方がちょっと悪かったのだろうか。もしくはやっぱりどうしても言葉が足りないのかもしれない。 しかしそれ以上うまい言葉も思いつかず、けれどそのままにしておくのもどうかと思ったので、ちょっと勇気を振り絞ることにした。 「ちなみに今日の夜暇ですか?」 「うん。終わったらちょっと打ち上げがあるけど、その後は大丈夫。明日も一日休みの予定だし」 「じゃあ夜行ってもいいですか」 「うん、連絡する」 しかし例によってさっぱり伝わっていなさそうだったので、意を決してもう一度先輩の手を握った。指先をそっと撫でる。 「……あの、俺の言いたいこと分かりますか」 「え?」 「……」 だがそこまでしておいて、直接的なことを言う勇気はまだなかった。 再び視線が合って数秒。無言の訴えが現状の俺の精一杯だったが、先輩はようやくそれを正しく受け取ってくれたのかぱちりと目を瞬き、そして「あー……」と呟いて嬉しそうに目元を緩めた。 「マジか、そうか、うわー……初めてだな、宏樹から言ってくれるの」 「そう、ですね。すいません、なんか勇気が……」 「いやめちゃくちゃ嬉しい、……夜と言わず午後サボる?」 「いやいや、会長がいなかったら大問題でしょ」 「生徒会やめてこようかな」 「それこそ大問題じゃないですか」 思わず笑ってしまうと、先輩も顔をほころばせた。 その笑顔を見たら、なんだかものすごく安心してしまった。 どうやらなけなしの勇気を振り絞った甲斐はあったらしい。
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