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Ⅱ. why
目前に現れたのは灰色の壁だった。
開けた扉は独り手に閉まり、鍵の閉まる音がした。
「もどれない」
先程の部屋とは一転して、全面灰色に染まっている。そのせいか部屋は暗く、壁は少女の行く手を迷わせ、先の見えない道が続いている。
「とりあえず、こっちにいこう。」
少女は右へ進んだ。壁に片手を当て、伝いながら適当に曲がっていく。
正解なんてわからない。けれど、なぜかこの道で合っているような気もした。
ひらけた場所に出た。
次の道はどこにもない。行き止まりだ。
だが、ここにもまた、石像があった。
「これは、だれ?」
少女より一回り背の高い男性の像。会ったことはないと思うものの、断定はできなかった。彼は呆気にとられたような顔をして立っていた。
足元の題を読むと、そこには、
『どうして、』
と書かれていた。
「どうして?」
少女がその題を声に出して読んだ直後、その石像が音をたてて壊れた。
「えっ」
石像の中から出てきた、赤い目をした彼は血塗られたナイフをかまえて、少女の前に立ちはだかった。
『どうして?「にげ・・・」どうしてどうして』
電子声に途中彼の肉声のようなものが挟まった。
少女は何もわからないまま、彼の言う通り、来た道を引き返す。
『どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして』
たわごとのように同じ言葉を繰り返しながら、彼はナイフを振り回して追いかけてくる。風を切る度に、灰色の壁に赤い液体が飛びつき、じわと染みついていく。
少女は走った。
すぐ後ろにいるのはなんとなくわかった。後ろなんて気にしていられないと、何も思わず、何もわからず、ただ走った。
ふと、白いドアノブが視線の先に見えた。
「あっあそこだ」
少女は追いつかれぬように慌てて、次の部屋への扉を開けた。途端、身を囲っていた灰色の壁が霧散した。
それと同時に少女を追いかけていた彼も粒子となって、少女の脳裏へ飛び込んできた。
~~~~~~~
「ただいまー」
先程まで少女を追っていた男性は、スーツを着て自宅へ入った。
「あ、あなた、おかえり。」
「ああ、ありがとう。」
綺麗で、優しそうな女性が彼を出迎えた。
「今日は、どうする?お風呂、入る?」
「んー、今日はいいかな。お酒も飲んできたし、今から入ると危ないような気もするから。」
「そう。じゃあ、いつもみたいに、温かいお茶、入れて待ってるね。」
「うん、ありがとう。」
彼はその女性の頬にそっと口づけをして、自分の部屋へ向かった。
パジャマに着替えていると、開きっぱなしのドアをノックする音がした。
「ん?どうした?」
「あなた、着替えてるの?あ、そのままでいいわ。」
不思議そうな表情を浮かべながら、彼はシャツを着て、そして、自分のシャツが真っ赤に染まっていることに気づいた。
「え?」
お腹が熱い。身体をまさぐると、ナイフが刺さっている感触がして、その場で嘔吐した。
かろうじて後ろを向くと、彼女は今まで以上の笑顔を浮かべていた。
「どう、して」
「あら、どうしたの?そんな驚いた顔して。」
笑顔のまま彼女は首を傾げた。
「君は、本当に、君なのか?」
「まあそうねぇ、驚くのも無理はないわね。でも、ざんねん、私なのよ、あなた。いやぁ、やっぱり、この表情が溜まらないのよね。信頼して愛していた妻に殺される夫。うーん、快感!気持ちいいわぁ、濡れてきちゃう。」
恍惚としている彼女の顔を見れば、もう驚き以外の感情は浮かんでこなかった。
「どう、して」
答えはもう聞いたはずなのに、問いばかり尋ねてしまう。
「あら、しぶといわね。今回はちょっと刺し方、間違えちゃったのもあるのよね。もう一刺しいこうかしら。ばいばい、あなた。」
その言葉を最期に、朦朧とした意識は二度目の凶刃を迎えて落ちた。
~~~~~~~
「はっはぁはぁはぁはぁ」
あまりの現実感に驚き、少女は膝に手をついた。
記憶の片隅で何かがリンクした気がして、頭痛がした。少女の目の前には、血塗れた男性の透明な姿があった。
『どうして、』
彼の姿は今度こそ、かき消えた。
まるで少女に何かを伝えるという役目を果たしたかのように。
壊れた石像を尻目に、少女は次の部屋へと足を踏み入れた。
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