Ⅲ. anger

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Ⅲ. anger

「なにここ、あつい」 陽炎のように景色が揺れて見える。 太陽の姿は見えないが、壁面が橙一面なこともあるのか、体感温度が高いように思う。夏の暑さのように、じりじりと少女の長髪が焼け、床の鉄板のような熱さが早くここから出たいと思わせる。 扉が揺れて見える。少し遠いようにも見えてくる。少女は死に物狂いで歩いた。 「ふぅふぅ」 吐息が漏れ、汗が滴り落ちていた。 先へ進むにつれて地に落ちた汗がじっと消えていく。なのになぜか喉の渇きは生まれない。 「あ、あった」 見慣れた石像があった。衣服をはだけた、髪の短い女性がそびえたっていた。 この暑さを物ともしていないのに、彼女は顔をしかめていた。 「ふぅ、やっとついた」 少し疲れて題の前に座り込んだ。こんなに暑いのに意識が朦朧とすることはない。 熱い息を吸って決心をすると、少女は横の題を読んだ。 『何もかもをゆるせない』 目の前の石像から爆音がしてガラガラと崩れ、中から真っ赤な顔の女性が現れた。 突然の大音量に少女は肩をひっこめて驚いた。 爆音の源がこれだけ近いのに爆風がいつまで経ってもこないことを不思議に思っていた。 じっと見上げる少女には目もくれず、彼女が口を開いた。 『ねぇ、私の何が悪かったの?そんなの、だめじゃん、なんでそんなことするの?』 虚ろとした目で空に語りかけている。 彼女は少女の前に立ち、口を開けた。 「に、げ、て」 そういった動きをしている気がした。 少女はそういわれることがわかっていたかのように、熟れたりんごのように顔が赤くなっていく女性に背を向けた。 『愛してるって言ったのに、なんで私の元から離れていくの。幸せでいいねって言ったのに、なんで私から幸せを奪うのよ。笑わないで、私を、笑わないで!』 言葉が放たれ爆発する。耳が割れんばかりの音を出しながら、彼女は少女にゆっくり近づいていく。 『ゆるさない。ゆるせない!何もかも、進くんも真帆も、そして、私も、ゆるせない』 追いつく気配はない。早足で追ってくるような気配もない。 だが、少女は後ろを振り返らず、焦げそうな熱さの中、死に物狂いでドアノブを掴んだ。 その瞬間、頭に何かが飛び込んできて、意識は埋め尽くされた。 ~~~~~~~ 「とうとうあんたも幸せ者になったんだよねぇ」 「うるさいわよ、もう、でも、進くん、すごい優しいんだよね。」 いつもの喫茶店。人通りが多いのに店内が閑散としているのは今が、平日の午前だからか。 目の前にいる真帆は大学の頃からの友人だ。クラブも一緒で、大学生活はほとんどずっと一緒にいた気がする。彼女はすでに結婚していて、幸せな日々を過ごしている。 「で?私を呼んだのは、惚気を聞かせるため?」 「なわけないじゃん、真帆。いやぁ、私にも彼氏、できたでしょ?ダブルデートしない?土日でも全然いいからさ。」 「もちろん、いいよ。どこにする?あ、待って、ちょっと後でもいい?私、今から彼に忘れ物届けにいかなきゃいけなくて。」 「ええ、そういうとこあるよね、別にいいけど。」 「ごめんねっ行ってくるっ」 そう言って真帆は荷物を持ってそそくさと喫茶店を出ていった。止める間もなく彼女は行ってしまった。 携帯を触って数時間。何杯目かのコーヒーもすっかり冷めてしまった。彼女も全然戻ってこないし、メールを打っても何も帰ってこない。 けれど、彼女に至ってはこんなことはざらにある。一応、と電話をかけてみると、息を切らした様子で「ごめん、今はちょっと」と返ってきた。 待ってるんだけど、とそう思いながらも、我慢する。こういう状況はこれまでにも何回かあった。 「またか、こんなことさえしなければいい友達なんだけどなぁ」 人に会う前に、やらなければいけないことは済ませておくのが普通なんだろうけど、彼女はそれが苦手なのだそうだ。そういわれれば仕方がないとしか言いようがなくなる。 私は無意味な時間を過ごした喫茶店を後にして、帰路についた。 「あれ?」 駅に向かう途中、繁華街を通っていると、視線の先に彼氏である進くんがいるのが見えた。 喫茶店で待っていたと言ってもまだ午後2時。仕事が終わるには早すぎる。そう思って、目を凝らすと、隣には先程まで一緒にいた友人真帆の姿があった。 「え、なんで?」 私は信じたくないことを確かめるため、強気で彼らの元まで歩いて行く。 迫りくる人混みを避けてただ彼らだけを狙って歩いていくその様は、傍から見れば不審であった。 そのせいか、彼らは自分たちに近づいてくる存在に早くに目が付き、進くんはなぜか焦った様子を見せていた。 「真帆。こんなところにいたんだ。進くん、二人で腕組んで何してるの?」 「ち、違うんだ!聞いてくれ、こ、これは」 進くんの言い訳を遮るように、真帆が口を開いた。 「ごめんね、また、奪っちゃった。」 進くんに目を向けると、顔を逸らしていた。 その状況に耐えきれなくて、私は詰問もできずにその場から走って離れた。 「ねえ、なんで、離れていくの?愛してるって言葉は嘘だったの?ねえ、なんで奪うの?幸せじゃんって言葉は何?」 そうつぶやいて走っていると、腸が煮えくり返るほどの怒りが込み上げてきた。 「どうして私だけがこんな目に合わないといけないの!真帆が、進くんが、悪い!何もかも許せない。」 気づけば、涙の混じっただみ声で、人目を気にせず叫んでいた。心から溢れ出る強気が、私の踵を返し、顔を真っ赤に染めていた。 「何もかも、許さない。」 ~~~~~~~~ 「ゆるさない。」 少女はそうつぶやいた。彼女の怒りが移っていた。 ドアノブを掴んでいただけだったはずなのに、気づけば次の部屋に足を踏み入れ、扉が閉まりかけている。 前の部屋の温度は急速に冷め、窓も床も天井も全て透明に変わり、いつの間にか彼女の姿も霧散して消えていた。
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