Ⅳ. stop

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Ⅳ. stop

「涼しい。いや、ちょっと寒いぐらいかも。」 どこかから冬の、少し冷たい風が吹いている。先へ進む道はまた暗闇だが、曲がり角に篝火が置いてある。ほんのりと足元を照らし、火のそばは少し温かい。 一歩足を踏み出すと、ガコンッと奇妙な音が鳴り、目の前を少女の顔の数倍大きい鉄球が勢いよく通り過ぎた。 「わぁっ!」 少女は急な出来事に驚いた。 鉄球が返ってこなさそうだと感じ、少女は慌てて前に進んだ。 「びっくりしたぁ。」 以降も、ナイフが落ちてきたり、落とし穴に落とされかけたり、当たれば死ぬ罠が無数に設置されていた。 少女はそれに臆することなく、時折驚きながら淡々と進んでいった。 「こんどはなんだろう。」 ひらけた場所の端っこに、うずくまった少年の石像があった。目を凝らさなければ、暗がりのせいで気づかないほどに存在が薄い。 少女は罠を抜けたときと何も変わらない速度で、それに近づいていった。もはや恒例となっているこの石像。 「どうしてこの人たちはこんなところにいるんだろう。」 その問いも誰かに当たり跳ね返ることもなく、宙に消えていく。 「えーと、」 少女は石像の題を読む。 『やめて!お母さん、やめて!』 音もなく石像が崩れて、それでもなお少年はその場にうずくまっていた。 「だ、大丈夫?」 少女は少年の怯える姿を見ていられなくなって、少年に恐る恐る声をかけた。 『ヤメテ!オカアサン、ヤメテ!」』 機械的なノイズが入ったようなしわがれた電子音が言葉を成す。 少女はそんな少年を心配そうに見つめ、何に彼は恐れているのかと戸惑いながら、ゆっくり近づいていく。 「大丈夫?」 『クルナ!ヤメテ!ウ、アアアアアアアアアアッ』 身体に触れるほどに近づいた瞬間、少年の姿が掻き消え、少女の意識に飛び込んだ。 ~~~~~~~ 「おまえの教育が!悪いからこうなったんだろ!え?何、泣いてんだよ!許してねぇぞ、クソ女がっ!」 鈍い音が部屋に鳴り響く。 僕は居ないふりをしてふすまの裏に隠れることしかできない。ただお母さんがお父さんにひどいことをされているのを見ることしかできない。 いや、もう、あんな人、お父さんなんて親しいやつじゃない。いつからこんな、つらい日々になってしまったんだろう。 「もうやめて!」 聞きなれた阿鼻叫喚があがる。情けなく思う。 玄関の扉が乱暴に開くたびに、肩が震えるようになってしまった。 だが、お母さんはまだ、あの人が優しかったお父さんにいつか戻ると思い続けている。あんなに痛いのに、これが夢じゃないことをわかっていない。 「次やってみろ、殺すぞ」 そう言って男は家を出ていった。 それがいつもの捨て台詞だった。 毎度毎度本当の殺意を向けられている気がして身震いしてしまう。 「お母さん、大丈夫!!」 僕はいつものようにお母さんに駆け寄った。血の滲んだ傷の処置にももう慣れた。慣れたくはなかった。桶にお湯を入れ、常備しているガーゼを持ってくる。 僕は濡れたガーゼをお母さんの傷に当てようとした。 お母さんはどこかいつもと違っている気がした。 「ねぇ」 「ん?何?お母さん」 僕は手を止めた。それは虚ろな目でうつむいていたはずのお母さんが、血走った目で僕を見ていたからだ。 「なんであんたは殴られてないの?」 「え?」 「あんたがいるから!あんたがいるから、あの人は変わったんじゃない!なのに、なのに、なんであんたは殴られてないの!」 強い言葉が僕を襲った。心を殴られたような感じがした。 「あの人が優しい人に戻らないのも、全部あんたのせいじゃん!」 お母さんは涙を流しながらそうわめいていた。 「あんたが!」 僕は頬に衝撃を受けた。お母さんに初めて殴られた。彼女のその形相は、あの人と同じだった。 彼女は膝立ちで、ひたすら僕を殴った。 「あんたが!お前が!お前が、いなければ!」 「うぐっ」 その目はもう僕を見ていなかった。 「やめて、」 僕はかすれた声で訴える。 「やめてよ、お母さん、戻ってよ、優しいお母さんに。」 そう言った瞬間、お母さんのあの人への思いを理解した。そして、もう僕は変わってしまったお母さんに恐怖し戻ることを願うことしかできないことも理解した。 「お前がぁぁ!いなければ、いなければぁ!」 「やめて、お母さん、やめて!」 僕の声はもう喉から出ていなかった。声になっていなかった。 やめてよ そう思うことしか、もうできなかった。 ~~~~~~~ 「いたいっ・・・。あ、いや、終わった?」 恐る恐る目を開けると、少年の姿さえ消えていた。脳裏に彼の母の面影が強烈に残っていた。 気づけば、石像があったところに扉が現れ、勝手に開かれていた。 少女は後ろを振り返る。間一髪で避けた無数の罠を見て、改めて怖いと感じた。あれに当たっていたらきっと、と思い、少女は身を震わした。 次は誰のどんなストーリーを見るのか、とそう思いながら少女は次の部屋に足を踏み入れた。
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