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Ⅴ. lost
そこはただ広い空間だった。
何もない、いや、ただ真ん中にぽつんとお墓があるだけだ。何も供えられていない。
扉も見えない。
墓前にはわびしい背中を見せる初老の男性が石の上に座り、墓に語りかけているように見える石像があった。
「石ばっかり」
その様子が寂れた雰囲気を醸し出していた。静かに近づき、石像の題を読んだ。
『また、忘れていた』
「何を?わかんない」
石像が崩れた。
『お嬢さんが一人で、こんなところに来るなんて珍しいね。』
語りかけられたようで、少女は驚いた。
「おじいさん、喋れるの?」
『お嬢さんに、私の、どうしようもなく寂しいお話をしてあげよう』
どうやら少女の声は聞こえていないようだった。
おじいさんはこちらを向くこともなく、その電子音で喋り出した。
勝手に脳裏に映像が流れ出し、少女は優しい声に誘われて目をつむった。
~~~~~~
机の上に置いていた電話が鳴った。
「はい、もしもし」
『あ、こちら、木田様のお電話でお間違いないでしょうか?砧市警察署の者です。』
「あ、はい、間違いないです。」
聞き慣れない、若い女性の声が耳に刺さる。身に覚えのない用件で、少し慌てる。
『木田良枝様の身内の方でしょうか?』
「あ、はい、夫です。」
良枝は今朝散歩に行ったきり帰ってきていなかった。いや、病院か?息子夫婦の家だったかもしれない。いずれにせよ、警察の厄介になるなんて、そこまで彼女がボケているはずはない。
『木田良枝様の遺留品が見つかりましたので、近いうちにお尋ね願えませんか?』
「遺留品?何を言ってるんだ!良枝はまだ死んでない!今日もいつものように、朝早く散歩に行って、それで・・・」
『辛いお気持ちはわかりますが、その旨お伝えしましたので、何卒お願いします。失礼します。』
迷惑なことだけを言って、電話は切れた。
「なんだ、これだから最近の若い者は」
私は今の愚痴をいい話ができたと手に提げ、部屋の仏壇に向かった。
写真の向こうで良枝が笑っている。
「さっきな、良枝が死んだと、お前の遺留品が届いてるって警察から電話がきたんだよ。良枝、死ん・・・」
そして私はまた、忘れていたことを思い出す。
「ああ、そうだった。良枝はもういないんだった。あの日、散歩に行ったまま津波が来て、それで、ああ・・・。」
誰にも届かないため息が漏れる。
忘れたことを思い出すこの瞬間、自分が生き続けている理由を見失う。
「ああ、良枝の忘れ物を見つけて向こうに持っていくために、生きてるんだった。」
私は仏壇に手を合わせ、立ち上がった。
「警察へ行こう。」
私は鳴りやんだ携帯を手に取り、息子へ電話をかける。留守電でもいい。そう思って、電子音が喋り出した瞬間に私は口を開いた。
「もしもし、この伝言を聞いたら私に折り返し電話をしてほしい。良枝の遺留品が見つかったから警察へ行ってくる。私はまた、忘れているかもしれない。頼んだ。」
『おかけになった電話番号は現在使われておりません。』
虚しい時間がその場を支配した。
~~~~~~~~
夢から覚めた少女は涙を流していた。記憶にないという悲しさが身近である気がして、少女は自分を疑っていた。
「わたしは、どうしてここにいるんだろう。なにか、おもいだせないなにかがあるってこと?」
本来なら最初の部屋で抱く疑問を、少女はここで感じた。
石像はすでになく、視線の先に扉があった。
「とりあえず、すすもう」
首を傾げながら、少女は次の部屋へ足を踏み入れた。
「いったいわたしは、どうしてすすんでいるの?」
その問いは誰に当たるでもなく霧散した。
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