二、御三家と下僕の契約事項、注意書き

10/62
前へ
/241ページ
次へ
「このっ」  バンッ、と鈍い音と共に、頬に強い痛みが走った。殴られた頬をおさえながら蹈鞴(たたら)を踏めば、拍子に黒板にぶつかり、チョークが落ちて砕けた。びりびりと痛む頬から手を離したのと、輪郭のぼやけた手がもう一度私に伸びてきたのが、ほとんど同時。その手に強く肩を掴まれて、そのまま床に引き倒された。乱暴に床に打ち付けられた背中が悲鳴を上げる。 「ふざけんなっ……一般生徒は大人しくしてろよ!」  よく見えなかったけれど、声で私が蹴った相手だと分かった。その男子は私に馬乗りになり、私の両手首を片手で握って頭上に縫い付ける。 「放してよ」  もう、この手からは逃れられないだろう。さっきの不意打ちが限界だった。 「放して!」  せめて誰か気付いてくれれば――と一縷(いちる)の望みをかけて叫んだとき、コンコンと妙に静かなノック音が響いた。  全員、制止した。床に寝転んだままの私は、首から上だけを横に向けて、音のした方を見た。  カタン、と廊下からストッパーを外す音がした。カチャンと鍵の開く音もして……。開いた扉の向こう側にいたのは、松隆くんだった。  少し色素の薄い茶色い前髪の奥から、怜悧(れいり)双眸(そうぼう)が私を射抜く。その視線に思わず息をのんでしまったのは、なんてことはない、そこに“計算”を感じたから。  ただ、すぐに松隆くんはいつもの笑みを浮かべた。その素早い切り替えにはうすら寒さ通り越して不気味さを覚える。 「ここで何してるんですか?」  そのままゆっくりと教室の中に入ってくる。私の上に乗っていた男子(「ヒロ」と呼ばれていた)は「松隆か……」と忌々しげに舌打ちし「運が良かったな――」と私に告げて立ち上がろうとした。  その体が、松隆くんの足に吹っ飛ばされた。唖然としていた私の上から、その「ヒロ」は呻き声と共に転がり落ち、私が床に引き倒された時よりも大きく派手な音と共に床に転がった。 「痛ってぇ……!」  肩を押さえる「ヒロ」に投げられた視線は既に冷たい。まるで仮面を取り去ったかのように、松隆くんの顔から、さきほどの微笑は消えていた。  その視線が私に向けられ、私まで肩を震わせてしまう。おそるおそる上半身だけ起こすと、松隆くんは私の頬を見て、それを示すように自身の頬を指した。
/241ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加