二、御三家と下僕の契約事項、注意書き

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「桜坂は、御三家(おれたち)のものだ。俺達は仏ほど優しくないからな、二度目はないと思え」  「ヒロ」が激しく首肯するのを見て、松隆くんは漸く足を離した。今度は私に向き直り、手を差し出してくれる。 「立てる?」  表情も声のトーンも一変し、さっきまで「ヒロ」を脅していた人と同じ人には思えなかった。 「……大丈夫」  好意に甘えて手を掴むと、体の細さからは考えられない力で助け起こされた。トン、と軽く胸に飛び込んで抱き留められると、ラベンダーの香りが鼻孔をくすぐる。 「じゃ、行こう。制服、汚れちゃった?」 「少し……」 「あと、眼鏡は?」 「そこに落ちてるやつ……」  松隆くんが拾い上げてくれた眼鏡はフレームが歪んでいた。多分、松隆くんに投げ飛ばされた男子の体の下敷きになってしまったんだろう。 「俺の顔、見える?」 「知ってる顔なら、眼鏡なしでもちゃんと見えるよ」  入ってきたときの冷たい顔も、「ヒロ」を踏みつけるときの嫌悪をあらわにした顔も、そして私に向ける優しい顔も、すべて、よく見えていた。  全部、私の知っている松隆くんの顔で、私が知らない松隆くんの顔だった。  松隆くんは、手早く私の教科書類を拾った後に「言い忘れたけど」と舞浜さん達を振り向く。 「桜坂以外に俺達の仲間はいないから。そこの三人のことは、好きにすればいいんじゃない?」  呆然とした舞浜さん達を残し、私達は文理教室を後にした。  舞浜さん達がそれからどうなったのかは知らない。でもあんなことをされた後だ、無名役員はもう何もしないだろうし、舞浜さん達も逃げてるだろう。私と松隆くんはといえば、もう六限目も半分過ぎてしまったので残りは第六西でサボることに決めた。こういう時、気軽に退避できる場所があるのは便利だ。 「暇だし、コーヒーでも飲む? 紅茶は遼がいないとよく分からないんだけど」 「……ありがと、じゃあコーヒー」  桐椰くんが紅茶を淹れる係だというのはさておき、松隆くんには聞きたいことがあった。 「……ねえ、松隆くん。さっきのは、だよね」 「ん?」  是とも否ともいわずに、ただの笑顔で聞き返す。そしてその笑顔に違和感はない。だからこそ確信する。 「私が――私と舞浜さんが、襲われるのを待ってたよね?」  その口角がわずかに、ほんのわずかに吊り上がった。きっと、それが意味するのは“正解”だと思う。
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