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「昔からずっと小説を書いてるんですよ、私。もちろん趣味なんですけど」
「なるほど、それでさっきから妙に文学的な表現をなさる」
「ほっといてください」
妙な茶化しをはねのけて、私は続けた。
「今は趣味なんです。けど、いつかはプロの作家になりたくて」
一笑に付されてしまうかと思った。
しかし案に相違して、店主は真面目に聞いてくれていた。
「学生時代からずっと続けてきて、職場だって執筆時間が確実にとれるところをわざわざ選んだんです。仕事終わりも休日もキーボードに向き合って過ごしてきました。そうしたら一年前から、少しずつですけど新人賞の選考にも通るようになったんです。ネットに投稿した作品にも、コメントや高評価がつくようになりました。あともう一歩かもしれないって、自分でも手ごたえを感じているんです。でも……」
そこから先を言おうか、言うまいか。私は一瞬逡巡した。
けれど、夜風にそよぐ卓上の桜は、やはり気に食わなかった。
「親がそろそろ実家に帰って来いって言うんですよね。いい人がいるから紹介してやるって」
憤りと蔑み。それが7対3の割合で混じりあい、ドロリとした憎念を成す。
まだ親しい友人にも相談したことのない内緒事。
しかし驚いたのは、私の声が震えてしまっていることだった。
「それに最近じゃ、ネットでもアンチがつくようになっちゃったんです。ああいう人たちって作品じゃなくて私をダイレクトに批判してくるんですよね。まともに育ってないやつの感性だとか、女だから文章がなってないだとか、くだらないことばっかり。――それで最後に決まって言うんですよ。親にしてもアンチにしても、『小説家なんて甘えた夢は捨てろ』って。それが本当にしんどくて」
冷めていく小皿のおでんに、ぽたりと塩辛い雫が落ちた。今や淡いピンク色のもやにしか映らない桜を、私はきっと恨めし気な目で睨みつける。
「それなのに、桜は何食わぬ顔をして綺麗に咲くんです。苦しんでいる私を待ってもくれずに、去年と同じように満開に咲き誇って、みんなを虜にしてしまう。私にできないことを、こんなにいとも簡単に……」
そこまで言い切ってしまうと、私は不意にガス欠を起こしたように言葉が途切らせた。
――沈黙。
しばらくして、私が自らのやらかしを自覚したころ。
ゴホン、と店主が咳払いをした。
「気は済んだかい?」
「……すみません。こんな話をべらべらと、聞かれてもいないのに」
「あぁ、そうだな。正直、こんな暇な時間じゃなけりゃ、とっとと退店願いたかったぜ」
「本当にごめんなさい」
ぶっきらぼうな声に、私は隠れる場所もないカウンターで身を縮めた。
早々に用を済ませ、退散すべきかもしれない。
そう思って涙を袖でぬぐい、すっかり冷めきった大根を箸先で割り崩そうとした。
「……でもよ、姉ちゃん。案外、俺も似たようなもんかもしれねぇな」
「え?」
「桜が嫌いな理由だよ。姉ちゃんみたいにうまくは言えないから、なんとなくなんだが」
「タバコ、吸ってもいいか?」と訊いて、店主は紙巻きに火を点けた。紫煙を気持ちよさそうにくゆらせつつ、灰皿片手に外を回ってカウンター側へやってくる。
顔に疲労をにじませた彼は、私の隣にどっかりと腰を下ろした。
「俺もな、実は姉ちゃんと同じような頃があったんだ」
「私と同じ、ですか?」
「そうだ。察してもらえるとは思うけど、俺は人に使われるのが嫌いな性分でな。ずっと自分だけの場所を持ちたかった。少し古い言い方で言うところの、一国一城の主ってやつさ。――そのためにも、まずは金。とにかく金が稼げる仕事ばかり選んで、若さと体力任せで遮二無二働いたよ」
トラック運転手に漁船乗組員、工事現場の作業員。
渡り歩いた職業を指折り数える店主の姿に、私はただただ圧倒されるばかりだった。そういった仕事で荒稼ぎできた時代があったことを知ってはいたけれど、私の年代にとってはどこか真実味の薄い夢物語も同然だった。腕まくりしたシャツの袖から覗く店主の二の腕には、そう聞いてから見ると、とてつもないバイタリティを証明するように日焼けしていた。
「それでラーメン屋に、ということですか」
「あぁ、そうだ。流行りの店に通っていたら、そこの大将に気に入られてな。修行させてもらった上に、暖簾分けという形で独立させてもらえたんだ」
「すごいですよ、それって。若い時から自分の夢を追いかけて、実現させたってことじゃないですか。私は……、私は店主さんみたいな人、羨ましいです」
「そうかい? でも、俺はその店をすぐに潰しているぜ」
彼はなんでもなさそうにそう言った。だが、私は言葉に詰まって何も返せなかった。
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