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昭和・僕がそれを描く理由
北国にも夏はやってくる。
セミの声ひびく季節の中にいて、ふたりは自然に会話を交わしていた。
恵子は豊について多くを知った。彼は両親が離婚し母の出戻りに連れてこられたのだった。
「ご両親の事情で…。大変だったね」
彼はわざわざ不便な地方に移住したくなかっただろう。親しい友人と離れて心細かっただろう。
彼の横顔を、多少哀れみを込めた目で見つめた。
──自分で選べなくて可哀そう。
しかしふと、こう思った自分に引っかかる。
──私はどうだっていうの?
ここで豊が本日のお題、大輪の向日葵を描き終えて。黄色い色鉛筆を置いたらスケッチブックを太陽に重ねてかざした。
「不満や不安に押し潰されそうな時は、一心不乱に花を描くんだ」
こう呟く彼の声音はいつもより澄んでいる。
「花は綺麗で可愛くて、見てると落ち着くもんね?」
「んー…。逆かな?」
「逆?」
「花は強くて逞しくて、こんなふうに生きたいと湧き立つからさ」
「…………」
恵子は彼の爛々とした瞳に一時、目を奪われた。しかし同時に、
「確かにその向日葵は大きくてキラキラしているけど、でも所詮は花よ」
共感のような諦めのような、うまく言い表せない気持ちが恵子の胸で渦を巻いた。
「動物と違ってどこにも行けない。ひたすら不自由な存在…」
「そうだね。だからこそ」
目を合わそうとしない彼女に、豊はスケッチブックをさりげなく手渡した。
「生まれついた先がどんな環境であっても、力の限り生きていくって逞しいと思わないか。その地に根ざして雨の日も風の日も耐え抜くって。僕にはその生命力が眩しいよ」
そよ風が吹いてくる。
恵子はその風に指を絡ませスケッチブックをパラパラめくり、彼が描いてきた花々の姿を目に焼き付けた。
「ほんとだ。一生懸命、生きている」
花がそこに生まれそこに生きていることは、自分で選んだことではないだろう。
それでも花はたおやかに美しく、その姿は人の心を優しくも晴れやかにもしてくれるのだ。
──この凛と咲く姿は、ずっと彼を励ましてきたのね。
私も花のように生きたい──、それは恵子の胸に芽吹いた強さへの憧れ。そして、ほんのり淡い恋心。
季節が移り変わっても、紅葉した木々を描く豊の隣に、恵子は当たり前のように居座った。この頃には沈黙すら心地よい間柄のふたりになっていた。
しかし東北の秋は直ぐに去りゆく。寒くて写生どころではない外界。口実のないふたりは冬のあいだ疎遠になった。
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