これが勇者の倒し方

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 百年の間、正確な時を刻み続けた柱時計を、少女は仰ぎ見た。  ――いや、この女性を「少女」と形容するのは不敬だろうか。  背丈は1m40cmほどしかない。小さな体に余分な脂肪は付いておらず、いわゆるガリガリぺったんこ。手足は木の枝のように細く、簡単に折れてしまいそうだ。  見た目幼く可憐な彼女は、だがもう二十歳になる。名を、「ジェントリン・フィーバ・メルケット」といった。 「ふう……」  膨らんだデザインの肩口からほっそりと伸びる袖の、先から覗く手が、白磁でできたティーカップをつまんだ。琥珀色のお茶を一口味わってから、ため息をこぼす。  室内に誂えられた家具や調度品はいずれも豪奢で上品であったが、その中心でお茶を楽しむジェントリンは決して周囲に引けを取っていない。むしろ彼女がいてこそ、この空間は完成するのだ。  そう、ここ――「魔王城」という芸術品は。 「おかわりはいかがでしょうか、ジェントリン様」  傍に控えていた長身の紳士がうやうやしく尋ねる。 「いや、結構。美味しいが、やめておこう。飲み過ぎては、このあとの戦いにさわる」  微笑んで固辞したジェントリンの口元には、獣のような大きく鋭い犬歯が光っている。よく見れば、彼女の頭には太く大きな角が生えていることに、更には純白のドレスの裾からは長い尻尾が垂れていることに、そして背には几帳面に畳まれた羽があることに、それぞれ気づくだろう。  そしてなにより初めてジェントリンに謁見が叶った者は、彼女の暗灰色の肌に目を奪われるはずだ。  ――そう、ジェントリンは人間ではない。魔物である。その中でも「尊き種族」と崇め奉られる「古の竜」の、数少ない一体なのだ。 「……………」  力ある魔族の特徴であるジェントリンの赤い瞳が、再び柱時計のほうを向いた。  時計の長針が、頂点を指す。  正午を知らせるために鳴り響く鐘の音を聞きながら、ジェントリンは机の上にティーカップを戻した。 「そろそろ時間だ。爺よ、今までよく仕えてくれたな」  椅子から優雅に立ち上がると、ジェントリンは、お茶の道具が一揃え載っているワゴンの、その脇に佇んでいた紳士に声をかけた。 「……!」  ブラックスーツに紺のネクタイを着けたその男は、頬でもぶたれたかのように顔を強ばらせ、やがて俯いてしまった。  男の背には、トンボのような三対の羽が伸びている。そう、彼もまた魔物だ。  男の紫色の唇はワナワナと震え、くぼんだ瞳には涙が盛り上がっている。ジェントリンは子供を諭すかのように、穏やかに言葉を紡いだ。 「爺よ、この城のものは、なんでも持って行くがいい。私は不勉強で、何にどれだけの価値があるのかは知らぬが、少しは今後の生活のたしになるだろう」 「おやめください……! わたくしはそんな、乞食のような真似は、絶対に致しません! この城も、この城にあるものも、そしてあなた様に仕える者たちも、全てはあなた様の財産でございます! あなた様にはそれらを、これから先も守っていく義務がある! あなたは我らが主、魔王なのだから!」 「…………………」  ジェントリンは男の元へ歩み寄った。  この男はジェントリンの祖父、つまり先々代の頃からメルケット家に執事として仕えてくれている。確かにこういった忠義者は、実に得がたい大切な財産だろう。それ故に、幸せになって欲しかった。  ――だがそれも、叶わぬ願いとなってしまうのか。 「爺。私は恐らく勇者との戦いに敗北するだろう。だが、精一杯戦うつもりだ。それが魔王の座に就いた者の責務だと思うからな」  何の気負いも感じず、ジェントリンは心から笑うことができた。こんなことは久しぶりだ。  まるで四肢を戒めていた重い鎖から、解き放たれたかのような気がする。  幼い頃から定められた為政者としての立場、魔王の座から、もうじき下りることができる――。  しかし目の前の老いた男は、誇り高き英雄の像を、主人に――ジェントリンに求め続けている。そんなものは、まやかしに過ぎないというのに。  その場にがっくりと膝をつくと、執事は四つん這いの格好で哀れに懇願した。 「どうか、どうか、我らに勝利を……! 魔王様は必ず、にっくき人間どもを駆逐し、我ら魔族に王道楽土を築いてくださる……! わたくしどもは、そう信じています!」  「…………………」  ジェントリンは無言で、執事の肩に手を置いた。  この男だけではない。同胞からの過度な期待に、何度苦しめられたことか。  もしかしたらそれらは全て、歴代の魔王と比しても強大な魔力を持って生まれたジェントリン自身に、咎があるのかもしれない。期待するなというほうが、無理な相談なのだろう。  ――だが、私はもう疲れた。  物心ついた頃から早世した親の代わりとなって戦い続け、その結果、何を得たというのか。  数で押され、じわじわとすり潰されるように窮地に追い立てられた。仲間を守るのに必死で、肉親からの愛情や、心暖まる友情すら知らずに、ここまできてしまった。  戦え戦え、殺せ殺せ。同族から発せられる大号令を効くたび、心の内は乾き、飢えた。  誰も、自分に寄り添ってはくれない。縋るばかりだ。  ――だが、その孤独な日々も、もうじき終わる。  長きに渡った人間との戦いは、魔族が圧倒的に劣勢な状態で最終局面を迎えている。  魔族の長であるジェントリンに残された道は、自らの命や誇りと引き換えにしてでも、同胞たちを救うことくらいだ。  ――それとも、我らは滅んでしまったほうが良いのだろうか。  やたらと好戦的で愚かな下等生物――人間。  そんな輩に命乞いをし、奴隷の身に堕ちてまで、自分たち魔族の命を繋ぐ意味はあるのだろうか。  ジェントリンは、未だ結論を出せずにいた。
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