これが勇者の倒し方

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 真昼だというのに陽光の一筋すら差さない曇天の下、竜と男は対峙していた。  鋼のような強度の鱗を全身に纏う、身の丈八mにも及ぶ巨大な竜。大の男を三人束ねても、それより太い手足が振るう剛力は言うに及ばず、そのうえ高い知性も備えたこの古の竜は、魔法をも操る。  もはや数えるほどしか生存せぬ希少種。この古代竜こそが、魔族を束ねる女王、ジェントリン・フィーバ・メルケットの真の姿であった。 「出会いに感謝するぞ、女王よ……!」  男はカラカラと豪快に笑った。  並の人間ならば、古代竜と対峙すれば、偉大な彼らの気に当てられ、動けなくなるはずである。が、男は不敵な笑みを浮かべながら、慣れた手付きで黄金の剣を鞘から抜いた。  人としては大柄だろうが、相手が巨竜となると小さく見える。人類最強の剣士であり、命知らず。そうでなければ、魔族の長と一対一で戦おうなどとは、決して思わないだろう。  二十二歳になったばかりのその男は、「ニュートルー・アント」。しかし本名よりも「勇者」との呼び名のほうが、広く世に知れ渡っているはずだ。  竜の体を覆う漆黒の鱗に対し、ニュートルーは金色に輝く美しい鎧でその身を守っていた。彼の装備は、百年もの間繰り広げられた魔族との戦いにおいて、開発と強化がなされた対魔防具の最高傑作である。剣と一揃えで作るのに多大な費用と年月がかかるそれらは、まさに人類の最終兵器であった。  一匹と一人の戦いは、もう三日三晩続いていた。竜の爪と人の剣がぶつかり合い、互いの攻撃をそれぞれの鱗と鎧で防いできたが、どちらももう限界だった。  ――次で、雌雄が決する。  竜も人も、同じ予感を抱いていた。 「勝負だ、勇者よ」  聞くだけで寿命が縮まりそうな忌まわしき銅羅声がそう告げると、竜の周囲には紫色の靄が立ち上った。  大地、そして空気からも精気を吸い取り、暗黒の力に変える――古代竜のみが使えるという「魔染」の力を使うのだろう。 「……!」  勇者は剣を一度払い、構えた。古代竜のブレスの、その魔法効果は、有に半径10kmに及ぶという。逃げるのは不可能だ。  魔王城がそびえ立つこの孤島には、逆に言えば城以外何もない。魔王ジェントリンと、彼女に仕える者たちの島である。  勇者とのこの戦いの前に、ジェントリンは城で働く者たち全てに退去命令を出した。彼らはここより遥か北の大陸で、自分たちの長である魔王の勝利を祈っているはずである。  ところで――。  互いに多くの犠牲を生んだ、この悲惨な戦いの原因は何なのか。その答えは、「種族が違う」という一言に尽きるだろうか。  角が生えていたり、大きな牙が光っていたり、長い尻尾を振っていたり。  恐ろしい外見をして、自分たちを軽々と凌ぐ魔力や身体能力を持つ魔族たちを、非力な人間たちは恐れ、憎んだのである。  ――そして狂気にも似た衝動で、魔族たちを絶滅せんと動き出した。  とはいえ、これはジェントリンたち魔族側から見た戦いの歴史である。 「全ては人類が悪い」。  だが相手側に尋ねれば、きっと真逆の説明がなされるだろう。  戦いとは、そういうものだ。負けたほうが悪であり、勝ったほうが正義である。  そして、今まさに新しい歴史が綴られようとしている。 「全ては魔物が悪い。故に、我らは奴らを滅ぼした」。  長きに渡った二つの種族の戦いは、最後は数の上で勝った人類の勝利という形で終わりを迎えるはず――だった。  ――終末は、来たれり。  暗灰色の竜・ジェントリンは前足を踏ん張り、腹の底から息を吐き出した。  暗黒の力を帯びた竜の咆哮は、生きとし生ける者、特に人間にとっては即死の効力のあるマジック・ブレスだ。  勇者は、しかし避けなかった。無謀にも正面から竜に向かって突っ込み、地を蹴った。竜も敵の躍動に合わせ、顎を上げる。 「魔染」のブレスが、当然ニュートルーを直撃した。  勇者の体はきしみ、彼は苦しそうに眉をしかめたが、だがそれだけだった。  次の瞬間、ニュートルーの鎧が輝きを増したかと思うと、辺りは目が眩むような光に包まれた。その中心で、勇者は剣を振りかざした。  最強の竜も、ブレスを吐いたあとには、わずかな隙ができる。勇者はそれを狙ったのだろう。  ニュートルーの手元にある剣は、魔伐剣「閃光」だ。古今東西の名工と、優れた魔術師がタッグを組み――詳しい説明はここではどうでもいいので、割愛する。  ともかく、その「閃光」は見事その役目を果たし、竜の頭上に鎮座していた角を打ち砕いた。直後、ジェントリンは雷に打たれたように痙攣し、横向きに地面に倒れた。  地に寝転んだ竜からは、白い蒸気が立ち昇る。しゅうしゅうと音を立てながら、物凄い勢いで何かが抜けていき、途方もない大きさだった魔物の体はみるみる縮んでいった。  角は魔族の力の源であり、損なえば一時的に魔力を失ってしまう。そしてジェントリンの正体である「古の竜」は、その堂々たる姿を保つのに大量の魔力を必要とする。角を失えば、もう竜の形をしていられないのだ。 「うう……。さすが、噂に名高い『閃光』だ。我がブレスを跳ね除けるとは」  魔力を失った以外は、魔王も特に傷ついた様子はない。人間の少女によく似た姿に戻ったジェントリンは、埃と土に汚れた上半身をよろよろと起こしながら力なく笑った。  「見事だ、人の子よ。ニュートルー・アント殿だったな」  「ニュートでいい」  まるで友人に対するかのように、勇者は気安く応じた。場にそぐわぬ緊張感の欠けたその発言に、ジェントリンは面食らい、そして破顔した。  これくらい豪快な男だからこそ、魔族でも最強と謳われた自分を討てたのだろう。そして、この男になら、負けても悔いはない。  ジェントリンの心は、晴れ晴れとしていた。 「さあ、早くこの首を持って行くがいい」  真っ先に首を刎ねられれば、後に残していく同族の者たちの不幸を、絶望の顔を、見ずに済む……。 「魔王ともあろう者が心根の弱いことだ」と自嘲しつつ、ジェントリンは勇者の剣を受け止めるべく、瞼を閉じた。  しかし聞こえてきたのは、カチンという金属どうしが触れ合う音である。どうやらニュートルーは、剣を腰につけていた鞘に収めたようだ。 「そのような野蛮なことはしない」 「――ほう、さすが勇者様というわけか」  挑発的に煽ってみたが、ニュートルーが気にした様子はない。なるほど、本当に器が大きいようだ。  ジェントリンは感心し、だが次の瞬間、あっと声を上げた。ニュートルーが持っていた名剣「閃光」を、ゴミか何かのようにポイッとそこらへ放ったからだ。 「……………」  自分の角を破壊し、勝敗を決した剣を、そんなテキトーに……。  なんとも言えない切なさがこみ上げてきたが、敗者に文句を言う資格などないので、ジェントリンは口を噤んだ。  手ぶらになったニュートルーは、ジェントリンをじっと見下ろした。 「……?」  眼力勝負ならば、ジェントリンだって負けはしない。見詰め返すが……。勇者の視線はまっすぐ過ぎる。  思わず居心地が悪くなって、ジェントリンは自らの体を抱き締めた。なにしろ竜への変身が解けた今、彼女は生まれたままの姿なのだ。腰まである若草色の髪が、乳房を始め、体のほとんどを隠してくれてはいるが、どうにも恥ずかしい……。  ――いや、たかが人間などに、羞恥心を抱くのもバカバカしい! 家畜の前で、裸になっているようなものなのだ! 堂々としていればいい!  と、自分に言い聞かせてみるも、例え種族は違えども、目の前の勇者は男であり、ジェントリンは女である。どうしても気になってしまう。 「すまないが、何か羽織れるものを貸して……」  そう言いかけると、ニュートルーは兜をやはり無造作にその辺へ投げ捨て、ジェントリンの前に跪いた。 「!」  急激に縮まった距離に、ジェントリンは思わず身を引いた。  人間をこんなにも間近で見るのは、初めてかもしれない。  意志の強そうな太い眉。澄んだ青い瞳。すっと通った高い鼻に、大きな口。  人間の美醜は魔族であるジェントリンに量りかねるが、良い顔つきをした男だと思った。  ニュートルーは魔王の首に関心はなかったようだが、だがそこから下には大いに興味があったようだ。無遠慮なほどジロジロとジェントリンを眺め回したあと、彼は腰に着けた小さなカバンから、黒く光る金属の輪を四つ取り出した。 「すまないが、念のため拘束させてもらう。俺も疲れているから、抵抗されたら、加減ができないからな」  ジェントリンは不愉快そうにムッと顔をしかめた。 「既に勝負はついている。私は負けたのだ。無様な振る舞いはせん」 「すまん」と謝りつつも、ニュートルーは手にした輪を、ジェントリンの両手首と両足首に素早くはめてしまった。  輪が肌に触れた刹那、わずかに目が回る。覚えがあるこの感覚は、魔法具のそれだろう。 「これは拘束用のマジック・アイテムか?」 「うむ」  頷きながら、ニュートルーは魔王の手首にはめた黒い輪を指先でなぞった。すると輪は突然輝き出し、次の瞬間、ジェントリンは後ろ向きにひっくり返った。 「うわっ!?」  両手は万歳をするような格好で、両足は大きく左右に開いた形で、まるで磔にされたかのように、ジェントリンは仰向けに転がっている。両手首、そして両足首の輪は地面にめり込み、ぴくりとも動かなかった。 「おい! 何の真似だ! 私に抵抗する意志はないと言っただろう!」  ジェントリンは抗議するが、ニュートルーは罠を確認する狩人のように、地面に縫い付けられた彼女の手足を黙々と調べている。  やがてニュートルーの指は、ジェントリンの灰色の肌をつつ……と滑り、足の付け根の辺りまで上ってきた。  ぎくりと、ジェントリンは震える。  自分は裸なのだ。こうも手足を広げられてしまえば、見えてはいけないところが見えてしまっているはず……。 「何をしている! やめろ! さわるな!」 「…………………」  声を限りに訴えても、ニュートルーは答えない。  ――これは……まずいのではないか。  怯えつつもそんなはずはないと、ジェントリンは自分の考えを打ち消そうとする。  自分たちは種族が違うのだ。異種族に劣情を抱くような輩がいるとは思えない。  それにニュートルーは「勇者」なのだ。そのような高潔な男が、淫らな行いをするはずはなかろう。  ――だが、ジェントリンの予想は、見事裏切られることになる。  ニュートルーはジェントリンの開かれた足の間に顔を近付け、あろうことか秘部を観察し始めたのだ。 「なっ、何を……! どこを見ている、貴様あっ! やめろ!」  暴れるが、拘束された手首、足首は、ぴくりとも動かなかった。 「暴れても無駄だぞ。お前の手足にはまっているのは、巨大黒蜘蛛の糸から作ったアイテムだ。大変だったんだぞ、三乙しまくったし。何度も何度もやられて、なんとか素材を集めたんだ」  無毛の凹凸の乏しい割れ目を、ニュートルーは左右に開きつつ、こともなげに言った。 「ひっ……!」  男の指の感触のおぞましさに、ジェントリンは硬直した。  ニュートルーによれば、自分の手足を封じているのは、巨大黒蜘蛛の糸らしい。ジェントリンも幼少時にいたずらをしたとき、お仕置きとしてこの糸で手足を縛られたことがある。そしてその頃から強大な魔力を誇っていた彼女をもってしても、糸は切れなかったのだ。  持ち主が解除魔法を唱えない限り、絶対に外せはしない。それが巨大黒蜘蛛の糸である……。  ニュートルーといえば、ジェントリンの花弁を撫で、開き、隠されていた小さな窪みにしげしげと見入っている。  誰にも、自分でさえ、そんなに丹念には触れたことのない場所を暴かれ、撫でられ、ジェントリンはその気色悪さに身を捩った。 「き、貴様……!」  紅玉よりも赤い瞳に憎悪をたぎらせ、ジェントリンは勇者を睨みつけた。  視線がぶつかる。  ニュートルーの目は――こんなときにも気高く輝いていた。  やっていることはただのドスケベ外道なのに、表情は妙に清々しい。あまりの違和感にジェントリンが戸惑っていると、ニュートルーは感極まったように雄叫びを上げた。 「遂に、遂に、このときがきたのだ……!」 「な、何……?」  見ればニュートルーの目尻には、うっすらと涙が光っている。 「俺はずっと、このときのために……! お前と相見えるために剣の腕を磨き、『勇者』と呼ばれるまでの男となったのだ! なにしろ、お前と一対一で戦うまでには――この魔王城に来るのさえ、自分一人の力では無理だからな。多くの者の力を借りて……! 長かったぞ……!」  そこでふと声のトーンを落として、ニュートルーは尋ねた。 「ところで、お前、名前は?」 「じぇ、ジェントリン……」  勢いに流されるように名乗ると、ニュートルーはうんうんと頷いた。 「ジェントリン。いい名だ」 「……それはともかく。なぜ私と戦うことを望んだ?」 「実を言えば、別に戦う必要はなかった。俺はお前に会えれば良かったのだ。お前は俺の探し続けていたものを、きっと持っているだろうから。それを譲ってもらいたかったのだ」 「ほう……?」  竜には確かに収集癖がある。美しいものを見かけると、巣に持ち帰る習性があるのだ。  ではニュートルーほどの男が、命がけで欲しがるものとはなんだろう。  宝石だろうか、武器だろうか、芸術品だろうか。 「お前はなにが欲しいと言うのだ……?」  ジェントリンが問いかけると、勇者は拳を握り締め、竜のブレスなど霞むほどの大声で叫んだ。  「俺に合う、まんこを!!!!!」  ――辺りは、静寂に包まれた。
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