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*****
…――ようやく、あたしにも春一番が吹く。
そう思った。彼が現われ。
長かった。いや、永かった。とてもとても。
「こんにちは。お名前は?」
目の前には旅人のような大きなリュックを背負った男性がいる。
あたしは静かに瞳を閉じる。ゆっくりと。この時を噛みしめるよう感慨深くも。
そうしてから一つだけ微笑んで、そののち、彼の問いに応える。
「あたしは、ののこ。あなたは誰なんです?」
ののこは、言うまでもなく、あたしの名前。
しかしながら、名を語る事すら久しく、とにかく、なにもかもが懐かしいという気持ちが溢れてくる。永き冬が続き、凍った大地が溶けもせず、全ての生き物が眠りについた。だからこそ、あたしにとっての春は遠く遙か彼方に在ったんだ。
そして。
ようやく、この旅人と思われる彼が現われた。あたしの前へと。
「奇遇だね。僕の娘もノノコって言うんだよ。普段はノノって呼んでいたけどね」
「ののこ、なんて名前は、とても珍しいのに、あたしと同じ名前の娘がいるんですか。それは本当に奇遇ですね。そこに運命を感じてしまってもいいほどに」
「そうだね。今日、君と出会えた事は運命なのかもしれない。ただ……。分かっているんだろう、君は? 僕が、どうして、ここに来たのかをね。聡い君なら」
もちろん、僕がエンジニアだという事も理解しているんだろう?
「はい。分かっています。重々。でも、あたしはソレを待っていたんです。とても永い時間、たった一人で。ソレを、あなたが分かっているからココに来た」
違いますか? ですよね?
男性は静かに頷き、それから赤い黒い空を見上げた。いつからだろう。この赤黒い空が夕焼けと呼ばれなくなったのは。そして、空一面を覆う灰やススを、なんとか押しのけて陽光が地上に届いているからこその空色だと知ったのは。
ソレは。
人類が創り上げたネットワークが壊滅してから、また永い時が経った後だった。
「そうだね。僕の娘も静かに眠ったよ。永遠の眠りについたんだ」
「もしかして、あなたの娘も……、ですか?」
「そうだね。君と同じだよ」
あたしは、ふふっと笑う。
無論、ここまで、あたしと境遇が似た娘がいた事に、どうしても、この出会いに運命を感じずにはいられなかった。そう思ったら不思議と笑みが零れた。それは嬉しかったのか、或いは悲しかったのか、あたし自身にも分からなかった。
けども。
これで終われると思った。
それだけは、間違いない。
「本当に奇遇ですね。彼女にも春一番が吹いた、という訳ですか」
「そうだね。あの件、以来、君たちは永い冬を生きる事になり、いつしか、永遠の眠りにつく事を春一番が吹くと表現し始めた。まあ、気持ちは分かるんだけど」
「ふふふ」
あたしは、また一つ笑む。
「その笑みが悲しいと思うのは僕が君を終わらせなくちゃならないからなのかな」
「どう感じるかは、あなた次第です。ふふふ」
このやり取りを終えたあと、あたしと彼は、お互いに黙った。しばらくの沈黙。
おもむろに男性が微笑む。
哀しく。哀れみを湛えて。
そののちリュックの中から一枚のDVDを取り出す。そして、また悲しそうな笑みを、あたしにくれたあと、静かに、歩み寄ってくる。あたしの、おでこにかかる黒い前髪をソッと優しくあげる。ソコにはDVDのディスクスロットが在る。
「プログラムを停止させる為の……、DVD」
全てを理解していた、あたしでも、さすがに死を目の当たりにして恐くもなる。
「うんッ」
とだけ短く答えた男性が、ゆっくりとDVDを、あたしのスロットへと入れる。
どうやら恐くとも安心は出来るようだ。フッと大きく息を吐く。
この春一番が吹く事によって、あたしにとっての核の冬が終わりを告げるんだ。
ああ。ようやく。ようやく眠れるんだ。本当に永かった。1000年、いや、そこまではいってないか。500年を超えた辺りから、もう数えるのが面倒になってきて。でも1000年近くは生きた気がする。それだけ永かったから……。
あたしは自立思考回路を持つアンドロイド。
愚かにも人間達が核戦争を起こし、核で荒廃し、人類が壊滅しそうになった世界を生きてきた機械生命体。自分で自分のプログラムを終了できないように設計されていた永遠を生きる人形。だから、人間達が、再び、立ち上がるのを待った。
永い永い刻の間。そして遂に吹いた春一番。
ああ。幸せ。幸せって、こんなものだったんだ、と思い出した。
「さようなら。そして、ありがとう。本当に」
と言い、あたしは微笑んでから瞳を閉じる。
「うんッ」
とだけ彼は答えた。相変わらず哀しそうな声色で寂しい微笑みを浮かべていた。
ソレが閉じつつあった瞳で見た最期の光景。
そして。
あたしの思考は止まった。そうして視界もブラックアウトした。
お終い。
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