不適切

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不適切

「じゃあですね。う、う。う、ですか。あ、じゃあ。ウツボの掴み取り」 「ウツボっていうのは、海のギャングのことだよね。でっかい口で岩場から他の魚を狙ってる人相の悪い奴」 「そうですそうです。それ。ウツボ。ウツボの掴み取り。それをお祭りの縁日でやるんです」 「けが人が出るね。問題になる。確かに不適切だね、それは」 「ははは。じゃ、そちらの番ですよ。掴み取りの、り、です」 「わかった。り、ね、り。り」 り、か。私は白髪を搔きながら考えた。難しい。 まさか父と息子ほども歳の離れた相手と、こんな密室で小さなテーブルをはさみ、しりとりをすることになろうとは。しかも、ただのしりとりではない。 「り、か。り。あ。思いついたよ。リンゴの丸呑み」 「わはは。窒息しますね。試しちゃだめだ。」 「どう?」 「不適切です。すごいです。天才」 天才だって。褒められた。なんにしても褒められるのはうれしいことではある。私は短時間で不適切縛りのしりとりのレベルを上げたのだ。 「次は僕。み、ですね。じゃ、蜜柑の丸呑み」 「相田さん」 「はい」 「それは私の真似だよ。多分、丸呑みを使うとなんでも作れちゃう。どうせやるなら、ミノカサゴの丸呑みぐらいにしてほしかった」 「ミノカサゴの丸呑み。それ、すごい。血だらけになります。不適切です」 「レベルの高いしりとりにしようと言ったのは相田さんですよ」 「はい。すみませんでした。反省しました」 「蜜柑の丸呑みは却下でいい?」 「はい。考え直します」 「はい。み、だよ。残りはあと10分」 「ええっと。ええと。み、ですね、み。あ。味噌定食」 「ありそうだけど。不適切じゃない」 「違うんです。味噌おにぎりと、お味噌汁、サバみそ、味噌田楽、お漬物は大根のみそ漬け」 「ありゃあ。口の中がからからになりそうだ。不適切」 「やった。はい、次どうぞ。味噌定食の、く、です」 く、ね。く。 私はなんだか楽しくなってしまっている自分に気付いた。これでいいのか?ま、いいか。 「ううんと」 「むつかしいですよね」 「ううんと」 「降参ですか?」 「いや。待った。く、く。お!」 「はい」 「釘ブランコ」 「ぶし」と私の後ろの小さな机に控えている田村が吹いた。 「わあ」 「どう?」 「ひどいですよ。それは。遊べない。むしろ拷問具」 「ははは」 「釘ブランコ。釘滑り台。釘シーソー。釘ジャングルジム」 「全部、釘公園にある遊具。どう?」 「もう。絶対不適切です」 「やったぜ。はい。次、相田さん。時間ないよ、早く」 「はい。釘ブランコのこ、ですね」 相田さんは、目をしばしばさせてから眼鏡を上げると天井を見上げた。どこから見ても人好きのする感じのいいサラリーマン。総務課にいそうなタイプの32歳。犯罪を犯すようには見えないのだけどなあ。 相田さんと約束したタイムリミットの午前11時まであと2分。 「こ、こ。あ」 「出た?」 「・・・はい」 「どうぞ」 「はい」 相田さん、下を向いて黙ってる。時間なくなるよ、どうした? 「どうしました?」 「いえ。はい。こ、ですね。こ」 「はい」 「口座預金の横領」 右後ろに控える田村がはっとしてこちらを向く気配がした。 「口座預金の横領、ですか」 「はい」 「不適切ですね」 「不適切です」 「相田さん、約束の11時になりました」 「はい」 「ラブラブモータースの口座から2億円を盗んだのは、相田さん、あなたですね」 「はい」 落ちた。 小さな取調室にひと時の静寂が訪れる。 相田さんはパイプ椅子の背もたれによりかかり、私は深くため息をついた。調書を取っていた田村が小さく咳をした。 容疑者、相田陽人は中堅自動車修理会社ラブラブモータースの経理担当だった。その立場を利用し、口座から2億円もの大金を奪い資金繰りを行き詰らせ、遂には会社を倒産に至らせたのだった。 担当となった生活安全課の刑事である私は、朝からこうして相田さんに向き合っているのだったが、彼はなかなか口を割らなかった。そして、休憩を取り、時間を限ってしりとり遊びを興じるに至ったのだ。でも、まさかこんな結末をたどるとは。 「なんでそんな大それた。原因は、ギャンブル?女の人?」 「いいえ。違います」 「では?」 「はい。以前、僕は経理部でごくごく単純にお金の計算をしていただけでした。僕がラブラブモータースの業務内容に疑問を抱いたのは、つい数年前のことです」 「業務内容?何か問題があったんですか?」 「ええ。ラブラブモータースは事故車の修理の際、わざとお客さんの車を壊すんです。パイプを折ったり、ラジエーターの液を抜き取ったり。壊しておいて直す。過大請求をする。でも、料金は保険会社からの支払いとなる」 「ああ。保険会社が黙っていれば表面上は問題にならない。そうだったんだ。ひどい。不適切だ」 「はい。それで僕は上の人間に進言しました。こんなんじゃだめだと。でも、向こうは耳を貸さなかった。逆に僕は罵倒された。こんな会社、あってはいけない、僕はそう思いました」 「それで、不適切な会社をつぶす方法を考えた」 「はい」 「不適切な方法で適切なことを」 「はい」 「でも、相田さん。だまし取った2億円は一体どうしたんですか?」 「ああ。それなら実家に置いてあります。裏の物置」 「口座預金の横領の、う。う。裏の物置の2億円」 「不適切ですね、確かに。でも、終わりが、ん、です」 「あ」 「はは。刑事さんの負け。それとも」 「ん?」 「う。ウツボの掴み取りからやり直しますか?」
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