6人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
不適切
「じゃあですね。う、う。う、ですか。あ、じゃあ。ウツボの掴み取り」
「ウツボっていうのは、海のギャングのことだよね。でっかい口で岩場から他の魚を狙ってる人相の悪い奴」
「そうですそうです。それ。ウツボ。ウツボの掴み取り。それをお祭りの縁日でやるんです」
「けが人が出るね。問題になる。確かに不適切だね、それは」
「ははは。じゃ、そちらの番ですよ。掴み取りの、り、です」
「わかった。り、ね、り。り」
り、か。私は白髪を搔きながら考えた。難しい。
まさか父と息子ほども歳の離れた相手と、こんな密室で小さなテーブルをはさみ、しりとりをすることになろうとは。しかも、ただのしりとりではない。
「り、か。り。あ。思いついたよ。リンゴの丸呑み」
「わはは。窒息しますね。試しちゃだめだ。」
「どう?」
「不適切です。すごいです。天才」
天才だって。褒められた。なんにしても褒められるのはうれしいことではある。私は短時間で不適切縛りのしりとりのレベルを上げたのだ。
「次は僕。み、ですね。じゃ、蜜柑の丸呑み」
「相田さん」
「はい」
「それは私の真似だよ。多分、丸呑みを使うとなんでも作れちゃう。どうせやるなら、ミノカサゴの丸呑みぐらいにしてほしかった」
「ミノカサゴの丸呑み。それ、すごい。血だらけになります。不適切です」
「レベルの高いしりとりにしようと言ったのは相田さんですよ」
「はい。すみませんでした。反省しました」
「蜜柑の丸呑みは却下でいい?」
「はい。考え直します」
「はい。み、だよ。残りはあと10分」
「ええっと。ええと。み、ですね、み。あ。味噌定食」
「ありそうだけど。不適切じゃない」
「違うんです。味噌おにぎりと、お味噌汁、サバみそ、味噌田楽、お漬物は大根のみそ漬け」
「ありゃあ。口の中がからからになりそうだ。不適切」
「やった。はい、次どうぞ。味噌定食の、く、です」
く、ね。く。
私はなんだか楽しくなってしまっている自分に気付いた。これでいいのか?ま、いいか。
「ううんと」
「むつかしいですよね」
「ううんと」
「降参ですか?」
「いや。待った。く、く。お!」
「はい」
「釘ブランコ」
「ぶし」と私の後ろの小さな机に控えている田村が吹いた。
「わあ」
「どう?」
「ひどいですよ。それは。遊べない。むしろ拷問具」
「ははは」
「釘ブランコ。釘滑り台。釘シーソー。釘ジャングルジム」
「全部、釘公園にある遊具。どう?」
「もう。絶対不適切です」
「やったぜ。はい。次、相田さん。時間ないよ、早く」
「はい。釘ブランコのこ、ですね」
相田さんは、目をしばしばさせてから眼鏡を上げると天井を見上げた。どこから見ても人好きのする感じのいいサラリーマン。総務課にいそうなタイプの32歳。犯罪を犯すようには見えないのだけどなあ。
相田さんと約束したタイムリミットの午前11時まであと2分。
「こ、こ。あ」
「出た?」
「・・・はい」
「どうぞ」
「はい」
相田さん、下を向いて黙ってる。時間なくなるよ、どうした?
「どうしました?」
「いえ。はい。こ、ですね。こ」
「はい」
「口座預金の横領」
右後ろに控える田村がはっとしてこちらを向く気配がした。
「口座預金の横領、ですか」
「はい」
「不適切ですね」
「不適切です」
「相田さん、約束の11時になりました」
「はい」
「ラブラブモータースの口座から2億円を盗んだのは、相田さん、あなたですね」
「はい」
落ちた。
小さな取調室にひと時の静寂が訪れる。
相田さんはパイプ椅子の背もたれによりかかり、私は深くため息をついた。調書を取っていた田村が小さく咳をした。
容疑者、相田陽人は中堅自動車修理会社ラブラブモータースの経理担当だった。その立場を利用し、口座から2億円もの大金を奪い資金繰りを行き詰らせ、遂には会社を倒産に至らせたのだった。
担当となった生活安全課の刑事である私は、朝からこうして相田さんに向き合っているのだったが、彼はなかなか口を割らなかった。そして、休憩を取り、時間を限ってしりとり遊びを興じるに至ったのだ。でも、まさかこんな結末をたどるとは。
「なんでそんな大それた。原因は、ギャンブル?女の人?」
「いいえ。違います」
「では?」
「はい。以前、僕は経理部でごくごく単純にお金の計算をしていただけでした。僕がラブラブモータースの業務内容に疑問を抱いたのは、つい数年前のことです」
「業務内容?何か問題があったんですか?」
「ええ。ラブラブモータースは事故車の修理の際、わざとお客さんの車を壊すんです。パイプを折ったり、ラジエーターの液を抜き取ったり。壊しておいて直す。過大請求をする。でも、料金は保険会社からの支払いとなる」
「ああ。保険会社が黙っていれば表面上は問題にならない。そうだったんだ。ひどい。不適切だ」
「はい。それで僕は上の人間に進言しました。こんなんじゃだめだと。でも、向こうは耳を貸さなかった。逆に僕は罵倒された。こんな会社、あってはいけない、僕はそう思いました」
「それで、不適切な会社をつぶす方法を考えた」
「はい」
「不適切な方法で適切なことを」
「はい」
「でも、相田さん。だまし取った2億円は一体どうしたんですか?」
「ああ。それなら実家に置いてあります。裏の物置」
「口座預金の横領の、う。う。裏の物置の2億円」
「不適切ですね、確かに。でも、終わりが、ん、です」
「あ」
「はは。刑事さんの負け。それとも」
「ん?」
「う。ウツボの掴み取りからやり直しますか?」
最初のコメントを投稿しよう!