田舎の壁

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田舎の壁

帰ってくるなり退部を宣言した私に、由希ちゃんは「安心した」と言わんばかりの笑顔で 「とりあえず座って話そうか」と明るく私を促してくれた。 「それで、どういう心境の変化があったのか教えてくれる?」 ダイニングテーブルで向かい合って座り、由希ちゃんが尋ねてくれる。 私は、最近まで由希ちゃんに話せずにいた、ひより関連で感じた“惨めさ”をはじめとして、これまでのマイナス感情をすべて打ち明けた。 「っていうことがあって。今まで私は“この小さな町で生き抜くにはどうすればいいのか“っていうことだけに執着していたんだけど、そこがいけないんじゃないかって気づいたの。」 「というと?」 「由希ちゃんが“逃げる選択肢”の存在を教えてくれたじゃない?あの話を聞いた時点では、逃げたとしても、この小さな町には逃げ場が無いんだからどうしようもないって絶望してた。」 昨日の話を出した途端、由希ちゃんは苦虫をかみつぶしたような顔をした。 私はあわてて言葉を続ける。 「いや!これに続きがあって!絶望したあとにね、また想像したの。私はこの小さな町に縋りついたままあと4年以上気を張り続けるのかって。そう考えたら怖くなった。 ――だから私は、高校で外に出ることに決めたの!外に出る戦いのために、部活を辞める。」 私の話を聞き終えたあと、由希ちゃんは少し考えて口を開く。 「つまり、高校受験に本気になるために部活を辞めるってこと?」 「そう、それが一番大きな目標。それともう一つ。私は今5人グループにいて、その子たち関連でいっぱい悩んで由希ちゃんにも相談していたでしょう? それも、もう辞めたいと思ってる。」 「グループの子たちと縁を切るってこと?」 「いや、そこまで大それたことはしない。ただ、今の私は唯たちの行動で一喜一憂して、自分の感情も行動すらも唯たちに依存してるの。 だから、それをもう辞める。そのためには唯たちと距離を取る必要があるから、部活を辞めるべきだと思った。」 「確かに、自分の幸せを他人に依存させないっていう考えは素敵だね。私も結構それ難しいなって思ってるし。」 「由希ちゃんもなの?」 「そうだよ~。バイト先の人の機嫌で今日のバイトは楽しかったとか、きつかったとか左右されまくりだもん。でも、私もできるだけ他人に振り回されないように頑張ってるつもり。」 「例えばどうやって?」 「うーん。毎回うまくいくわけじゃないけど、“他人に期待しない”ことかな。一回優しくされたら、その人は次も私に優しくしてくれるんじゃないかって期待しちゃうじゃない?」 「でも、その人が別の日では機嫌が悪かったりすると、落差がすごくて不安にならない?自分が何かしちゃったから怒ってるんじゃないかとか、いろいろ勘ぐっちゃう。 だから、そもそも期待しないことを意識してる。うまくいかないことも多いけどね。」 由希ちゃんも現在進行形で私と同じ悩みを持っている、その事実だけでうれしくなる。 それに加えて彼女は、彼女なりの解決策を自分で編み出して実践している上に、私に言語化して説明してくれる。やっぱり由希ちゃんはすごいな、と私が羨望の眼差しを送っていると、 いきなり由希ちゃんが「やっ!」と言って手で顔を覆い、テーブルに突っ伏してしまった。 「何!?!?!?」 私は反射的に叫んでしまった。 少しの沈黙の後、由希ちゃんが起き上がり、顔を隠したまま話し出す。 「また、やっちゃった。また、こうやって偉そうに講釈垂れちゃった。」 「どういうこと?」と私が尋ねると、 「最近さ、ずっと琴子が相談してくれるから、私が偉そうに、こう、講釈垂れちゃってたじゃない?」 そう言って由希ちゃんはまた、テーブルに突っ伏してしまう。 「いやいやいや!ほんっとうに由希ちゃんの助言のおかげで助かったから!全然そんな偉そうとかじゃないから!」 私は全力で否定して、由希ちゃんの身体を揺さぶる。 私からの振動を受けて、やっと由希ちゃんが顔をあげた。もう彼女のきれいな金髪はぐしゃぐしゃだ。 けれど髪型なんか気にせず、由希ちゃんは、また悔しそうな表情で言葉を紡ぎだす。 「違うくて。昨日とかさ、琴子に“逃げろ”なんて偉そうに行ったくせに、琴子の逃げ場のことまで頭が回ってなかった。ほんっとうに無責任だったよね、ごめん。」 確かにそうかもしれない。けど、私を導いてくれたのは確実に由希ちゃんだ。そのことを伝えたくて、私は一生懸命言葉にする。 「でも、由希ちゃんのおかげで私は部活を辞める選択肢が頭に浮かんだんだよ」 私の言葉を聞くと由希ちゃんは 「~~~っ!ありがとうううう。」 そう言って由希ちゃんの両手が私の両手を包んで、上下に振る。 そうこうしているうちに、由希ちゃんはいつもの表情に戻っていた。 そして、ぐしゃぐしゃになった金髪を整えながら、諭すように私に告げる。 「だからね、私の言ってることを100%で信じちゃだめだからね。あくまで一意見。私のほうが年上だけど、琴子と私の立場は対等だから!」 突き放すかのように受け取ることもできる言葉。しかし、私は分かっている。これは由希ちゃんの私に対する最大限の敬意だ。 「まあ、結論として、私は琴子が部活を辞めるのは賛成だよ。何か困ったことがあったら必ず助太刀するから!」 最後にそう言い残して由希ちゃんはアルバイトへと出かけて行った。 由希ちゃんが出かけて小一時間ほど経ったころ、お父さんとお母さんが帰って来た。今日は日曜日で二人して仕事が休みだからと言って、デートに出かけていたようだ。 思えば、私と両親だけという組み合わせは結構珍しい。いや、私が由希ちゃんのいない家にいるというのが珍しいのか。 彼女は私が帰って来た時に、必ず出迎えられるようにバイトのシフトを組んでいてくれたのかもしれない。そう思うと、どれだけ自分が大切にされているのかを実感し、胸がジーンとなる。 久しぶりの両親との会話のなかで、私は何気なく“退部”と“高校受験”の話題を出した。 すると、お母さんが驚いて声を大きくした。 「え!?!? 部活、辞めるの!?!?!? 市外の高校を受験する!?!?!?!?!?」 予想以上に反応が大きかったため困惑する。 「え、私そんなに変なこと言った?部活に関してはちょっと急だったかもだけど...」 「いや、部活はまだいいとして。市外の高校って、どれだけ遠いか分かってるの?」 そう言われると自分でもピンと来ず、曖昧に答える。 「え、まあ、電車で行くから最寄りまで徒歩40分で、電車に乗るのが30分とか?」 お母さんは呆れたといった表情で畳みかけて来る。 「いやいやいや!徒歩40分+電車の時間が1時間よ! お母さんたちも仕事が朝早いから送ってあげられないし。」 「そこは私が頑張るから」 「いや!ムリムリムリ!それに勉強だってどうするの。そもそも、市外に出るんだったら秀優高校くらいのレベルじゃないと認められないよ。」 秀優高校とは、県内1の進学校で偏差値は75にも上る。私たちの中学校の大半が通うことになるであろう、山中高校とは比べ物にならない。 また、秀優高校はもちろん県内の優秀な中学生がこぞって受験するため、その倍率・合格点数は私たちの町の高校の比ではない。 でも、それでも! 「私は外に出てみたい!だから、受験したい!」 私の言葉を聞くと、お母さんは、ハァ、とため息をつき 「山中高校なら近いし、大学進学する子も割といるんだから、そこでいいじゃない。 まあ、とにかく市外の高校はダメだからね。」 そう言って私たち会話は一方的に匙を投げられた。そんな言い合いにも似た会話をお父さんは気まずそうに見ていた。 まさかお母さんから否定されるとは思わず、一気に心がずーんと重くなる。 その日の夕方、由希ちゃんが帰ってくるなり、私は彼女を自分の部屋に押し込んで、お母さんとのケンカ(?)を説明した。 「あー。そうなったか。私に任せて! とりあえず、琴子は明日の学校のために気合入れときな!」 そう言われて我に返る。そうだ、明日の学校には二つのミッションがあるのだ。 ひとつ、部活の顧問に退部を伝えに行くとこ ふたつ、唯たちと顔を合わせること 思えば、私はいきなり送迎バスから飛び出したのだ。「気分が悪い」と言いながら、私は快活な笑顔を唯と日向に向けた。 それに、私が走りながら帰宅する様を、バスの窓から見ていたかもしれない。 彼女たちからしたら、私の一連の行動は、とんでもなく奇妙だ。 気まずすぎる。 そんな不安を抱きながら、私は眠りについた。 ―――翌日 今日も始業ギリギリに登校する。ドア付近にいた唯たち四人に挨拶するなり、その場に引き留められた。 「昨日のなに!?本当に体調悪かったの?」 そう唯が奇妙なものを見る目で問いかけて来る。 これ、なんて答えるのが正解だ?ズル休みって答えるのが正解?それとも嘘をつく? 少しの間私がフリーズしていると、おもむろにひよりが口を開いた。 「唯と日向から、気分悪いって言いながら琴子笑ってたって聞いたんだけど。頭でもおかしくなったとか?」 そう言って、私をネタにして笑う。 これを唯の尋問からの助け舟と捉える感性が昔の私にはあった。けれど、今となっては、ひよりの言動には悪意しか感じられない。 「体調悪そうにしてたら無駄に大事(おおごと)にしちゃうかなと思って、ごめん。言ってることと表情がちぐはぐだったよね。」 そう言って、私はごまかした。ここで本当のことを言ったところで無駄に亀裂が入るだけだ。私は決して彼女たちと決別したいわけではない。少し距離を置きたいのだ。 「そっか。あんま無理しないでね」 唯はそう言って、尋問時間は終了してくれた。 結局、彼女たちと何らの亀裂を生むことなく、ミッションを一つ終えたのだった。 給食の時間が終わり、昼休みの時間になった。 私は2階フロアにある一年生の教室の前に来ている。 なぜこんなアウェーに足を踏み入れているかというと、女子バスケ部顧問の田中先生は一年生のクラス担任だからだ。 教室の隅に目的の人物がいることを確認して、教室に入る。中には先生以外にも、ちらほらと一年生が遊んだり、本を読んだりしていた。 スキンヘッドに真っ青なジャージ、少し人相の悪そうな顔つき。いかにもな体育会系の男性教師に声をかける。 先生は二年の私が一年生の教室に現れたことに驚きながらも 「どうしたー?」 と優しく声をかけてくる。 そう、田中先生は部活以外だと割と優しい。普段の授業ではこの優しいキャラで教室にたたずんでいるため、生徒からの人気は高いし、私自身先生の授業は好きだ。 けれど、部活になると人が変わったように怒鳴り散らす。私は人一倍怒られた記憶があるからか、この先生が苦手だった。 けれど、もう逃げない。私は戦うのだ。 「部活を辞めようと思っています」 すると、先生の優しい声は、部活中のドスの利いた声に一変する。 「...理由は?」 「部活自体が精神的にきつくなっていることと、勉強に集中するためです。」 ハッと笑い、嘲るように話し出す。 「そうやってなあ、お前みたいに勉強を理由に部活を辞めるやつを何っ人も見てきた。そいつらなあ、一人残らず成績なんか上がらなかったからな、むしろ下がったやつもいる。」 先生の声が大きくなり、教室内の生徒の注目を一挙に浴びることになる。 けれど、私には簡単には引き下がれない意志がある。 「そうかもしれないですけど、理由はそれだけじゃなくて。精神的にも――」 私が話す途中で田中先生が口をはさむ。 「はいはいはい。そうやってな、精神的につらいだの部活が楽しくないだの言って退部しようとするやつはな、社会に出ても逃げ続けるぞー。」 涙が目に溜まる。もう、ほぼ泣いている。 でも、これはただの“逃げ”ではない。私は、戦うために逃げるのだ! 必死の思いで、涙で顔を濡らしながら 「それでも、私はもう部活には行きません!」 そう言って、私は一年生の教室をあとにした。私の後姿に先生がどんな顔で、どんな声をかけていたのか分からない、私は一目散に教室から走り去っていたから。 もう涙が止まらなかった。そもそも、先生というか“大人”に怒られること自体得意ではないのに、敵意のような何かを向けられる恐怖、なおかつ、知らない一年生の視線を一気に浴びた。 とてつもなく怖かった。 泣きながら階段を駆け上り、3階の二年生のフロアに着く。 クラスの子に泣き顔を見られたら、さらに事態が悪化する。 そう思って私は、廊下の最奥にある女子トイレへと非難することにした。 私が廊下を全速力の早歩きで前進していると、 ガラッ 隣の教室の扉が開いた。 中から出てきたのは一条君。 彼は、私を見るなり、ぎょっとした顔をする。 あ、見られた。終わった。 私は絶望を抱えて、トイレに籠り涙を流し続けた。 キーコーンカーンコーン 予鈴のチャイムが鳴ってしまった。あと5分で授業が始まってしまう。 私はしぶしぶトイレから出て、教室へと向かう決意をした。 一条君に泣き顔を見られた。彼はきっと、皆に言いふらしているに違いない。もしかしたら、泣いていた理由すらも突き止めて。 教室に入ったらどんな目線を向けられるのだろう。「あいつ泣いてたらしいよ」だとか、「顧問にめちゃめちゃ詰められたらしい」だとか、噂話をされるのだろうか。 意を決してドアを開ける。 ちらほらと集団になっておしゃべりをしている同級生たち。特に私に目を向ける者はいなかった。 あれ、全然思ってたのと違う。 拍子抜けしたが、一条君が特に言いふらしたりせずにいてくれたことに感謝しながら、私は席に着いた。 そして、何も起こることなく、そのまま5時間目の授業を終えることができた。 6時間目が始まるまでの10分休み。私は机の中の教科書を入れ替えて時間をつぶしていた。 普段なら、唯たちと円になって立ち話に興じるが、私は彼女たちと距離を取りたいのだ。 ひとりぼっちに見えたとしても、私は逃げたいのだ、この世界から。 すると、私の席の近くで一条君・二階堂君・三好君の三人がたむろしてじゃれ合っていた。 怖いから近くにいないでほしいな、そんなことを思っていると、ふと彼らの会話の中で、ひときわ大きな一条君の声が耳に入ってくる。 「俺さこの前、田中に結構しばかれたんよね」 「田中って、一年の担任の?」 「そうそう、あいつ女バスの顧問だからさ。俺が自主練で体育館のカギ閉め忘れた云々で、さんざん説教してきやがって」 「でもどーせすぐ、逃げたんだろ?」 「まーね。田中の説教なんか聞くもんじゃないから、気にしない気にしなーい。」 ただの男子の雑談。それに一条君は私に向けてその言葉を発したわけではない。 けれど、彼の言葉は私の心を一気に温かく包んでくれる魔法の言葉だった。 その後、私は帰路に就く。いつもなら、この後はいやいや部活に行っていた。けれど行かない、行かないと決めた。私は逃げるのだ。 帰宅後、今日も由希ちゃんとふたりで夕食をとる。 「ねえ、琴子」 「?」 「本当に、市外の高校に出るんだよね?そのために、秀優高校の合格が絶対条件でも、琴子は頑張るんだよね?」 力強くうなずく。 「おっけ!じゃあ、その気持ちをちゃんと伝えてくれればいいから!」 その後、私がお風呂からあがると、ダイニングテーブルにお父さん、お母さん、由希ちゃんが座っていた。 驚く私に由希ちゃんが隣に座るように手招きする。よくわからないまま私はお母さんと向かい合う形で腰を下ろした。 すると、由希ちゃんが高らかに宣言する。 「じゃあ、これから琴子の進学についての、家族会議を始めます」 聞いてない!?!?!? そう思いながら多少困惑するも、今日の夕食での会話を思い出す。 彼女は私のために動いてくれた。こんなにも迅速に。 その事実に感謝しながら、私はより一層決意を固める。 絶対にこの狭い世界から抜け出す言質をとってやる!!! 続く
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