流鏑馬

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流鏑馬

 流鏑馬の射手、花見山公輝(はなみやまこうき)は、花見山神社の裏手の馬場から、駐車場に向かって歩いていた。流鏑馬の装束、直垂をなびかせながら、ゆっくりとノッシノッシと大股で歩くその長身は優雅だったが、彼の面長で色白の顔は、真の戦士の顔だった。幾多の戦(いくさ)で数え切れないほど多くの人間の命を奪ってきたかのような、チーフ、ジェロニモのような壮絶な顔だった。とても16歳とは思えない。  公輝の顔は、他愛もないことを考えている時ほど、戦士の顔になった。学校でも公輝のことをよく知らない学友に聞かれた。 「なんか、怒ってる? オレ、なんかした?」  その度に、答えた。 「え? 怒ってないよ」  この時は、流鏑馬が上手くいったら、愛馬のデイジーに何の褒美をあげるか考えていた。 (人参でいいかな。でもやっぱりリンゴにしよう。おまけにエンバクも付けてあげようかな)  デイジーはイチゴローン色の大型のモルガンで、公輝の中学入学祝いに、家族がくれた雌馬だった。  「公ちゃーん! カッコイイわよー。こっち向いてー」  中年の着物姿の女が、参道脇で、公輝の写真を撮ろうとしていた。 「お母様!」  突然、公輝の顔は、パァーっと喜びに輝き、母、花見山宮子に向かって、装束をなびかせながらダーッと全速力で走っていった。宮子は黒髪を首の付け根でお団子に結い上げ、深緑色の大島紬に手毬模様の帯という、いつものクラッシーな装いで、息子を待っていた。 「ハイ、忘れ物」  母は、目を細めて微笑みながら、公輝に流鏑馬用の皮製の手袋を渡した。 「ありがとう! どこにあった?」 「テレビの部屋のソファの上」 「やっぱり」 「で、どうなの? 調子は?」 「いいよ」 「当たんなくってもいいんだからね」  母がいつもの優しい目で、公輝を見上げていた。  公輝が初めて流鏑馬に、父と二人の姉と参加したのは、12歳の時だった。以来、母が必ず彼に言う言葉だった。 「うん。分かってるよ」 (当たんないわけにはいかないのに、お母様ったら)  以前はよく思った。今はただ、はい分かりました、と答えておく。  公輝の矢が外れることはなかった。  観客が参道に着きだした。母親とニコニコ笑いながら話す公輝に、若い女性達の視線が集まった。 「カッコイー」 「誰、あの人?」 「背、たか!」 「外人?」 「ハーフだよ、ハーフ!」 「写真、写真!」  公輝は何度も母に振り返って手を振りながら、馬場に戻った。  12歳上の2番目の姉、花見山順子(よりこ)が公輝に駆け寄ってきた。順子は猫顔で、前髪付きのポニーテールが、小さめの顔に似合っていた。 「公ちゃん、どこ行ってたの?」 「お母様が手袋持ってきてくれたの」 「デイジー、準備万端だから」 「ありがとう。ゴメンね。全部やってもらっちゃって」 「いいよ、そんなの。それより、大丈夫?」  順子は心配そうに公輝を見上げて聞いた。 「大丈夫だよ」 「当たんなくてもいいんだからね」 「分かってるよ、順ちゃん」  公輝は順子に微笑んだ。順子は公輝がこの世で一番好きな人間だった。  順子も毎回、母と同じことを言った。当の順子は、勉強はからきしダメだったが、幼い頃から流鏑馬の天才と呼ばれ、的は絶対に外さなかった。 「行くぞ!」  父、弓馬術花見山流の35代目の宗家、忠元が、馬上から射手達に呼びかけた。 「公輝、外したらただじゃおかないよ!」  花見山家の長女、花見山綾乃が、馬上から公輝に喝を入れた。 「分かってるよ、綾姉ちゃま」  公輝もデイジーにまたがって、忠元の門人達の後に続いた。  縁結び、子宝祈願で知られる花見山神社では、毎年ゴールデンウイークに流鏑馬が行われた。忠元の高祖父母は、長いこと子宝に恵まれなかった。世継ぎの誕生祈願のため、身内と旧家臣だけで、流鏑馬をとり行ったところ、その翌年の5月に健康な男子を授かった。以来、第二次世界大戦中は中断していたものの、1870年代から続く、当神社の年間行事の一つだった。戦後、忠元の祖父が復興させて以来、一般客にも公開し、年々神事というよりは、催事の色が濃くなってきていた。  花見山流の射手達は、観客を大興奮させた。特に、ウェーブがかった茶髪をなびかせながら、競馬レース並みのスピードで、デイジーを走らせる公輝の矢が的を射る度に、観客は 「ウォーッ!!」  と、どよめいた。 「スッゲー!」 「はや!」 「外人が流鏑馬してるよ」 「誰、あの人?」 「カッコイー!!」 「三つとも全部的中!」  二人の若手女射手、綾乃と順子の、華やかさとしなやかな所作にも、観客は目を奪われた。最後の射手はもちろん、宗家、忠元だった。武術の師範として鍛え上げられたそのスリムなカラダは、とても50代の男のものとは思えなかった。完璧な花見山流の型を見せ、その日の流鏑馬の最後を飾った。  流鏑馬が終了し、他の射手達と馬場に戻った公輝を、綾乃がデイジーから引きずり降ろした。 「おいで! 生徒募集、手伝って」 「ちょっ、ちょっと待ってよ、綾姉ちゃま! デイジーにリンゴあげないと……」 「順がやるから。順、デイジー頼むねー」 「オーケー」  順子は、すでにデイジーから鞍を降ろし始めていた。 (順ちゃんと一緒に、デイジーとブランチにリンゴあげたかったのに……)  ブランチは栗毛の順子の愛馬だった。公輝は後ろ髪引かれる思いで、馬場を後にし、綾乃に引っ張られるまま参道に向かった。  公輝と順子の姉、綾乃は、順子よりもやや背が高く、ストレートな黒髪は、涼し気な前髪なしのボブにまとめていた。順子と綾乃が並ぶと、なるほど、姉妹には見えたが、綾乃は猫顔というよりは狐顔で、人にはシャープな印象を与えた。  ICUを出て、今は弁護士として働いている綾乃は、頭が切れた。彼女は流鏑馬の催事の直後に、ハーフ顔の公輝を使って生徒を募集すれば、かなり人が集まるだろう、とふんだ。もちろん最終的に門人として残るほど上達するのは、ほんの一握り。だからこそ、できるだけ多くの若者達に、体験レッスンを受けてほしかった。優れた技術を持つ門人を育成しなければ、弓馬術花見山流の死活問題に関わった。  忠元のはとこで、花見山神社の宮司、花見山忠宣(ただのぶ)が、おみくじとお守り売り場の横に、小さなテーブルとイスを、綾乃のために準備しておいた。テーブルにはすでに、綾乃が貼っておいたポスターが2,3枚、人目に付くように垂れ下がっていた。 流鏑馬、無料体験レッスン 初心者大歓迎! 花見山乗馬センターにて 毎週日曜日、10時―正午  綾乃の予想通り、参道に現れた公輝に、若い女性達が群がった。少し離れたところに、小中学生くらいの男子が10人ほど立っていた。  若い女性達の一人が公輝に聞いた。 「あの、日本人なんですか?」 「モンゴル人です」 「えー?」 「あの、ハーフですよね?」 「多分……」 「分からないんですか?」 「あの、僕、花見山家に幼い頃に養子に入ったんで、出生のことはよく分からないんです」  公輝は伏目がちに、ボソッと説明した。そんな彼の顔を、女子達は食い入るように見上げていた。 「そういえば、お姉様方は日本顔」 「えー? もしかして出生が複雑?」 「かわいそー!!」 「そんなことより、無料で流鏑馬の体験レッスン、受けられませんか?」  公輝は伏目がちに、集まった女子の誰を見るともなく、居心地悪そうに、綾乃に教わった通り、棒読みで、ボソボソと勧誘を始めた。 「これ、バンビみたい」  女子の一人が公輝の行縢(むかばき)を指して言った。 「本物の鹿の皮ですか?」 「触っていいですか?」 「いえ、触んないでください! あー、そこ! そこは、止めてください!」  公輝が苦痛な悲鳴を上げていた。  公輝の女子達を扱う手際の悪さに呆れながら、綾乃は小中学生の男子達と、彼らの父兄をテーブルに集め、パンフレットを配りながら、初回のレッスンの説明をした。 「馬の扱い方も、一から学習していただきます。最初の10回分は無料です。ネットで応募してくださいね」 (馬に乗れる! 弓も習える!)  小中学生達は目を輝かせながら、去って行った。 (さて、公輝を救わねば!)  綾乃は、パンパンッと手をたたいて、女子達の注意を引いた。 「はい、皆さん、こちらで受付させていただきますよ。わたくしは公輝の姉の花見山綾乃と申します。公輝君、こっち座って!」  綾乃は公輝の腕をグイッと掴んでテーブルに座らせ、彼の後ろに立ち、女子達に、流鏑馬体験レッスンの説明を始めた。 「中級以上になりますと、ご自分の乗馬用のブーツや手袋や鞭や、神事用の草履や足袋や弓矢や刀を購入していただくことになりますが、それらには、この公輝が、直筆でサインさせていただきます」 「ホントですか?」  女子達が目を輝かせて聞いた。 「ホ、ホントじゃないです! 僕、サインなんかしませんよ。誰がするんですか、そんなこと?」 「公輝!」  綾乃は、キッと、その狐目で公輝を睨んだ。 「します……」  公輝はうつむいて、か細い声で呟いた。 「あの、乗馬経験、ゼロなんですが、手取り足取り、教えていただけるんでしょうか?」  高校生くらいの女子が、公輝を見ながら恥ずかしそうに聞いた。 「もちろんです。この公輝が、あなたに、手取り足取り、お教えします!」 「あ、あの、僕は週末も部活で忙しいので、毎週教えられるというわけにはいかないんですが……」 「余計なことは言わない!」  綾乃は公輝の後頭部に、かみ殺したような声で囁き、彼の直垂の後ろ襟を、グイッと引っ張った。  綾乃と公輝が馬場に戻った頃、順子と門人達は、馬を6頭用の馬バスに、乗せているところだった。 「順ちゃん、手伝うよ」  公輝は、順子と白と茶のブチのゼウスに素早く駆け寄ると、彼女の手からホルターを取り、ゼウスに優しく話しかけながら、ゲートを登って、馬バスに入っていった。 「おいで。怖くないから。そう、エライ! いい子だね!」  順子は綾乃に聞いた。 「勧誘、どうだった?」  綾乃は順子に、受講者のリストを見せた。 「ラインの連絡先、30人分集まった!」 「30人! スゴーイ!」 「それも、若い子ばっか」 「イェーイ!」 「でも、あんた達も分かってるだろうけど、流鏑馬ができるようになるまで上達するのは、この30人中、まぁ、せいぜい、一人だから。二人共、気、引き締めて指導してよ。公輝も部活で忙しいんだろうけど、なるべく日曜の午前は開けといて。あたしも、裁判が月曜にない限り、手伝うから」 「了解でーす!」 「分かったよ」  公輝は、ゼウスのホルターを、馬バスの内壁に繋ぎ終え、ゲートの上から姉達を見ていた。 「公ちゃんのお陰だねー。ありがとね!」  順子はゲートを降りてくる公輝を見上げて、微笑んだ。 (順ちゃん……!)  公輝は、いつものように心の中で、熱く順子の名を呼んだ。
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