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普段に比べ様子のおかしい彼女を、周りの人達は演技か何かだと思っているようだ。エイプリルフールだから……そう取り違えるのも仕方ないのかもしれない。
―――だけど、僕は違った。
東坂さんにとって今日がどういう日なのか、少なくとも彼らよりはずっと僕の方が知っている。
「ねぇ、マジで何な―――」
「東坂さん」
一人の女子が俯いた東坂さんの顔を見ようと屈んだ瞬間、僕は咄嗟に足を一歩踏み出していた。
突然彼女の名前を呼んで輪の中へ割り込んだ僕に、グループ内では「誰だよこいつ」みたいな反応が見受けられる。
「……先生が呼んでる」
訝しげな眼差しを四方八方から大量に浴びせられた。だけど僕は怯むことなく、微塵の迷いも見せずに中心にいる彼女へと手を伸ばした。
学校指定のジャージからチラ見えする、彼女の華奢な手首を掴むと半ば逃げ去るように歩き出す。我ながらベタな方法だと、言ってしまってから羞恥心が追いかけてきて歩調が僅かに早くなった。
後ろでは、東坂さんの仲間たちから混乱した様子が伝わってくる。否―――あのグループ以外にも、僕の唐突すぎる奇行に周りの意識がこちらへ一斉集中する。
だが不思議と、人の目は気にならなかった。
今、僕がしなければいけない事は……もう決まっているから。
―――繋いだ右手から伝う、この温もりを守る。
「………」
周囲の怪訝そうな視線も囁かれる言葉も、春風に飲み込まれて消えてしまった。僕と東坂さん、ふたりだけの空間が浮かび上がる。
東坂さんが口を開くことは一度もなかった。
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