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──あたり一面が桜吹雪に包まれている、吹く風はそよぐ域をとうに超えており草木を執拗に嬲るほど。花の命は短いというのになにを急いで散らすことがあるのか。舞った桜が力尽き落ちた地面を眺めながら、俺は靴のつま先で花びらを軽く踏んだ。靴の先が土を擦るわずかな音と、聞こえぬはずの花弁の最期の声が聞こえた気がした。思わず眉間に皺を寄せる。
「──」
花の命は短い。ともすれば風に散り、ともすれば人に摘まれてその儚い一生を終える。この桜の木々のように毎年愛してもらえるのならばいいが、だいたいは人の都合で躙られていくのが定めだ。指で、つま先で、足で。『ただそこにあったから』それだけの理由で躙られていく。その事実のなんと身勝手なことか。
俺も人としての生を受けている以上、見ぬ間に、知らぬ間に手折ってきたものがあるのかもしれない──俺は本題から外れていく思考に歯止めをかけようとすることを早々に放棄した。こうなれば自制は利かない。
俺は傍らのベンチに座り、持っていた本を膝の上に置く。
花見兼読書にこの場に来た身でひとり鬱々とこんなことを考えるのもどうかと思うが、思案に耽るのは自分の世界を掘り下げることだと思う。他者と関わることが世界を広げることだとすれば思案に耽ることは縦に掘り下げていくことだ。
自分の奥に眠る考えに光を当て、掬い上げる。他者と関わらぬ時間は自らを理解する時間に充てる。
有意義は有意義だが、少し怖くもあるのは事実だ。掬い上げたものが必ずしも綺麗なものとは限らない。
たとえば今のように、自らの身勝手を突きつけられる瞬間などはその最たるものだ。
「──マジで、一人で考えたところで答えは出ないんだけどなぁ……」
俺は深々とため息を吐き出す。考えるのに耽ること自体は嫌いじゃない、むしろ好きな部類ではあるのだが──だいたいこの時間には明確な答えは無いのだ。そのくせこの時間を設けないと自らの思いが、声が、他者のそれに紛れる気がして怖くなるのだ。
桜吹雪のなかで花びらひとつひとつの表情が分からないように、顔貌の無いものへと変わり果てていく。
「──っ、」
そこまで考えが及んだところで、俺は自分の顔貌を確かめるように両頬に触れる。手のひらで揉んで、覆って、包んで、抓る。終いの明確な痛みに安心感と馬鹿馬鹿しさを覚えて思わず乾いた笑いが溢れた。
「……たぶん、そんな事は無いんだろうな」
顔貌が似通っていようとも花びらに一枚一枚花としての役割があったように、俺にも『名前』という個を示すものがある。それは愛であり、かたちであり、関する名前の役割を表すものだ。弟であれ、兄であれ、家族であれ。部下であれ、先輩であれ、夫であれ。
何よりも優しくあたたかく、確かなものだ。
その『役割』がある限り、俺は俺を全うし続ける。
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