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* * *
山頂の広場を照らすのは、月明かりと二本の松明だけだった。
その下に立っているのはお加代。細い体が弱々しく見える。
森の暗闇から、ズルズルと引きずるような音が不気味に響いた。
巨大な体をくねらせながら黒穴が現れた。
その姿を初めて目にしたお加代は、無意識に体をすくめた。
「もっと近付け」
慶次は、近くの木の上でその様子を伺っていた。
四本のコケシはすでに設置済みだ。倒さないでくれ、と心の中で祈る。もし一本でも倒れてしまえば結界が働かない。
「ムスメ、イタダク……ナンダ、ケハイ、カンジル」
結界の中央で黒穴がピタリと動きを止めた。
お加代の周囲に、小さな煙が上がる。
現れたのは三人の屈強な村の男。木の葉隠れを使って潜んでいたのだ。
「ダマシタ、ダマシタ、オコッタ」
黒穴は赤い目を大きく見開いて叫び声を上げた。村人は、刀とこん棒で攻撃を開始した。
慶次は太い枝に立った。両手の指を組んで印を結び、口の中で術を唱え始めた。
村人が戦っている間に、死角で気を貯める作戦だ。
「グガーーー」
黒穴が腕を振るう。一人は黒穴の背後へ投げ飛ばされた。そして、残り二人は腕に締め上げられた。
――時間稼ぎもできないのか!!
術を唱えながら慶次は、眉をひそめた。
「ムスメ、イタダク、ハングリーーーー!」
ヌメヌメと黒光りする腕を、お加代へと伸ばす。
「まずい!」
気が貯まる前に、お加代が食われてしまう。
仕方なく、慶次は印を解いて木から飛び降りた。
空中で刀を抜き、黒穴の腕に切りつけた。
「イデー、キサマ、アノトキノ、サムライ」
慶次は、お加代と黒穴の間に立つ。
「オマエ、ツヨイ。デモ、オレ、ツヨクナル」
「前と変わらない気がするが」
「ゲヘへへ」
赤い目の下に、パックリと大きな口が開いた。
そして、腕に絡めていた村人二人を丸のみにした。
背後から、お加代の「ヒッ」という短い叫び声が聞こえる。
ゴクリと黒穴が喉を鳴らした瞬間、体が一回り大きくなった。
「人間を食うとパワーアップするのか」
「ソノ、ムスメ、クウト、モット、ツヨク、ナル」
生娘が黒穴の一番の好物、村長が言っていた通りだ。
どうする? 気の蓄積は、まだ半分程度。千斬剣は放てない。
気を貯めている間は無防備となる。黒穴がその時間を与えてくれるとは思えない。
慶次が剣を構えなおすと、六本の腕が同時に攻撃してきた。
――速い!
一本が慶次のみぞおちに直撃した。
一瞬、息がとまり、慶次は片膝をついてしまう。
「ナンダ、ヨワク、ナッタノカ?」
このままだと、勝てない。
「用心棒さん!」
お加代が背後に近付いてくる気配がした。
「頼まれてくれ」
慶次は、視線を黒穴に向けたまま小声で告げた。
「千斬剣を放つためには、問題が二つある。一つは結界だ。奴の背後が見えるな」
「コケシが……」
お加代の声は、絶望を含んでか細い。
結界の一部を成すコケシが倒れていた。近くには村人。
黒穴に投げ飛ばされた村人の体が、コケシを倒してしまったのだ。
「俺は左に走って、奴を引き付ける。お前はコケシを立てるんだ」
「分かりました。走るのには自信があります。もう一つの問題は?」
「気が貯めきれていない。十秒ほど時間が必要だ。それは、自分で何とかする。何とかできればだけどな……行くぞ!」
慶次は宣言通り、左へと走った。
「化け物、こっちだ!」
「マズ、オマエカラ、クッテヤル!」
思惑通りに黒穴は、慶次へ攻撃を集中させた。、慶次は、お加代が掛けて行くのを視界の端で捕えた。
――結界は何とかなりそうだ……が。
黒穴の連続攻撃に慶次は、印を結ぶ時間がとれない。
このままでは、すでに貯めた気まで消失してしまう。
万事休すか……その時だった。
「この化け物め、狙いは私でしょ!」
黒穴の背後で大声を上げたのは、お加代だった。
――ばかめ、そんな事したら……。
黒穴は体をぐにゃりと回転させて、お加代の方を向いた。
「今よ!」
慶次は理解した。お加代は身を張って、気を貯める時間を確保したのだ。
次の瞬間、慶次は刀を鞘に納め、印を結んだ。
「きゃあーーーー」
女の叫び声。
おかげで気を貯めることができた。しかし……。
「ナニ、タクランデル?」
黒穴が体を慶次の方へ向けた。腕でお加代を巻きつけ、慶次へ突き出す。
「オレニ、コウゲキ、シタラ、オンナ、シヌ」
「クッ」
お加代を盾にするつもりだ。
慶次がお加代を守ったところを見て、大切にしていることに気が付いたのだ。
八方ふさがりとなった。千斬剣を放てば黒穴は倒せるかもしれない。しかし、お加代まで切り裂いてしまう。
「用心棒さん!」
絶叫ともとれる叫び声は、お加代のものだった。
声の裏にある意図ははっきりしていた。「自分に構わず切れ」そう言いたいのだ。
それが、最善の策であることは分かっていた。もし、黒穴がお加代を食べてしまったら、さらにパワーアップするだろう。そうすると、千斬剣では倒せなくなるかもしれない。
慶次はお加代の目を見据えた。
彼女の瞳は生気に満ちていた。恐怖も、死にゆく絶望も見られなかった。自分ごと切れと訴えかけているようだった。
「その覚悟、しかと受け取った」
慶次は決意した。
ふー、と大きく息を吐きながら鞘から刀を抜く。
「はっ!」
気合いを込めた瞬間、刀は青白い炎を帯びた。
「ムスメヲ、キレルカ?」
黒穴は切れないと思い、高をくくっているらしい。
「黒穴、覚悟!」
慶次は、強く地面を蹴り疾風のごとく駆けた。
黒穴が気が付いたときには、慶次は目の前にいた。
「はあーーーーっ!」
刀を振り上げる。
「すまない、お加代!」。
その時、慶次は予想外の光景を目にした。
ポッと音がして、白い着物だけを残してお加代の体が消えた。
――木の葉隠れ!
お加代は、口内に豆を仕込んでいたのだ。
――美しく、肝が据わっているだけでなく、機転も利くとは。ますます、気に入った!
「千斬剣!」
慶次は渾身の力を込めて刀を振るった。
舞い落ちる木の葉を切ってしまわぬよう、集中力を極限にまで高めた。
「ナ、ナナナナナナ、ナニガ」
黒穴は、慶次の動きを捕えることができなかった。
木の葉が地面に落ちたときには、黒穴の体には賽の目上の切れ込みが入っていた。
そして、体液をまき散らして崩壊した。
慶次は、肩で息をしながら片膝をつく。
「さすがに、この技は体を酷使しやがる」
目の前には、緑色の木の葉が落ちていた。傷つけていないことに安堵する。
「お加代、戻ってよいぞ」
声を掛けるが、木の葉は変化しない。
「おい、お加代!」
どういうことだ? 葉に攻撃は当たっていないはず……。
そのとき、木の葉から小さい煙が上がり、女の姿となった。
「おお……良かった」
お加代は恥ずかしそうに、腕で胸を隠していた。
白肌が美しい、一糸まとわぬその姿に慶次は見とれてしまう。
「見ないでください!!」
お加代は、強く慶次の頬を叩いた。
戦いで弱っていた慶次は、その衝撃で失神してしまった。
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