7 利用

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7 利用

 安堂くんに声をかけられて、少し深刻になりかけていた空気が明るくなった気がする。  でも、話はうやむやに終わってしまった。  結局、今日、一緒に帰るのか。  その答えを、遥に聞く隙も、渡瀬さんに伝える隙もなく放課後を迎える。 「それじゃあ、気をつけて帰るように」  そう先生が出てったあと、何人かの生徒は、後を追うようにしてすぐさま教室を出て行った。  荷物をカバンにしまっていると、渡瀬さんが、俺の席まで来てくれる。 「橘くん、一緒に帰れそう?」 「えっと、そのことなんだけど……」  振り返ると、遥がこっちをジッと見ていた。 「あ、あのさ、遥」  席を立ち、遥の方へと近づく。  遥もまた席を立ったかと思うと、俺に1冊の本を差し出してきた。 「この本……図書室まで返してきてくれない?」 「え……?」  まさかこんなタイミングで頼まれるなんて、思ってなかったんだけど。 「返すのはいいけど、図書室、寄りたいってこと?」 「違うよ。夏輝に返しに行って欲しいだけ」  面倒なことを俺にさせたい……というより、この場から俺を遠ざけて、渡瀬さんに直接、なにか言うつもりなのかもしれない。 「みんなで一緒に行く?」  そう提案してきたのは、渡瀬さんだ。 「ううん。ボクは夏輝に頼みたいだけだから」 「でも……橘くんも毎回、大変そうだし。今日は私がかわりに行こうか?」  その提案を、もちろん遥は断った。 「それは遠慮しておくよ」 「どうして?」 「誰にでも頼りたいわけじゃないからね。夏輝のことは信用してるから」  遠回しに、渡瀬さんのことは信用していないって言ってるみたいで、聞いてるこっちがハラハラしてしまう。 「お、おい、遥。行くから。渡瀬さんも、気にしなくていいから」  ひとまず、遥から本を受け取る。  この場を離れていいか迷ったけど、こうするしかないだろ。 「ごめん、今日は先に――」  帰ってって言おうとしたけれど、渡瀬さんがそれを遮った。 「少しくらい待つよ。それとも、一緒に図書室行こうかな」  遥と2人で待っててもらうとなると、なんか険悪な空気になりそうだし、一緒に来てくれた方が、安心できるかもしれない。  遥のおつかいについて来てもらうのは悪いけど……。 「ねぇ、渡瀬さん。ボクと一緒に待ってない?」  俺が考えてる間に、遥がそんなことを言い出す。 「え……」  渡瀬さんは少し驚いているみたいだった。  それもそのはず。  自分のおつかいを人に頼んでおいて、一緒に待ってようなんて。  もちろん、一緒に行ってこいってのもおかしな話なんだけど。  遥がなにをしたいのか、俺はなんとなくわかっていた。  俺がいないところで、渡瀬さんになにか言う気だ。 「如月くんがいいなら、それじゃあ一緒に待ってるよ」  なんの疑いもなく、渡瀬さんは遥の提案を飲んでしまう。 「……夏輝、行ける? 待ってるから」 「う……わかったよ」  ここはいったん、行くしかない。  俺は本を持って、教室を出た。  図書室に入ってすぐ、受付カウンターの近くに安堂くんがいることに気づく。 「あ、安堂くんも、本、返しに来たんだ?」 「俺は借りに来た方だけど。橘くんは返しに来たの?」 「うん、まあ」  遥の本だけど。 「返すのって、どうすればいいか知ってる?」 「借りるときはカードがいるけど、返却は渡すだけだよ」  教えてもらったように、受付カウンターにいる生徒に本を手渡す。 「お願いします」 「はい。ありがとうございました」  思ってたより、簡単だ。  今度、借りる方もやってみようか。  今日はさすがに、早めに戻った方がいいと思うけど。  そんなことを考えていると、安堂くんが俺を引き留めた。 「あ、あのさ」 「なに?」 「教室じゃ言いにくいんだけど……って、ここも静かすぎて微妙か。ちょっと出ていい?」 「いいけど」  なんだろう。  なにか話があるらしい。  図書室を出てすぐ、安堂くんは周りを確認した後、口を開いた。 「クラス代表、大丈夫かなって……」 「え……」 「如月くんにすごい信用されてるみたいだし、橘くんの実力を疑ってるとか、そういうわけじゃないんだけど」 「いや、別いいよ。首席の遥と比べたら、全然なのはわかりきってることだから」 「問題はそこじゃないんだよ。ほら、絶対、如月くんが代表になるだろうって、だいたいみんな、思ってたでしょ」  それは、思ってただろう。  俺だって、遥になると思ってた。  遥は、嫌がりそうだなとも思ってたけど。 「女子のクラス代表……どう考えても如月くん狙いだったし、如月くんのこと、推薦しようとしてたから」 「え……」  女子のクラス代表……渡瀬さんだ。  渡瀬さんが、遥狙いって……。 「どういうこと?」 「如月くんが男子の代表になるのを見越して、いち早く立候補したってことだよ。先に如月くんの代表が決まっちゃってたら、他の女子も立候補しただろうし、それより早く、自分からさ」 「渡瀬さん……よりよいクラスになるようにって」 「そりゃそう言うよ。自分が代表に決まった後、如月くんのこと推薦するつもりだったみたいだけど、結局、橘くんがクラス代表になっちゃったから、やる気失せて、いろいろ任されまくってるんじゃないか気になって……」 「あ……俺は、大丈夫だよ。なにも任されてないし。そもそもクラス代表の仕事って、いまのところほとんどなにもなくて。渡瀬さんも、やる気あるみたい」  安堂くんは安心した様子で、ふぅっと息を吐いた。 「それならよかったよ。なんか橘くんって、クラス代表のこととか、購買部のこととか、見てると、頼まれたら断れなそうだから」 「たしかに、断るのは苦手かも。なんでもやるってわけじゃないけど」  遥のことは、たぶん、そうするのがあたり前になってたんだと思う。  かわいそうとか、同情してたわけじゃないけど、小1の頃から、おじいちゃんの家に1人で預けられてて、同い年だけど、俺が、めんどうを見るような気持ちでいたのかもしれない。 「というか、渡瀬さん、そういうつもりじゃないんじゃないかな。遥を推薦したくなるのも、首席だから当然だし。本当に、推薦しようとしてたの?」 「クラス代表決める日の朝、渡瀬さん、如月くんに声かけてたんだよね。立候補するつもりだから、一緒にがんばろうって」  いつも、俺が教室につくと、遥はもう来ていることが多くて、その日も、たしか俺より早く来ていた。 「遥は、なんて答えてた?」 「やらないって言ってたよ。でも、渡瀬さん、結構強引で。立候補しづらいなら、私が推薦するとかなんとか」 「渡瀬さんが遥を推薦するより先に、遥が俺を推薦したってことか……」  あの後、俺が遥を推薦しようとしてもダメだったし、渡瀬さんも、さすがに言い出せなかったようだ。 「如月くん、うまく切り抜けたなぁって、思っちゃってたんだよね。橘くんは、大変だろうけど」  つまり俺は、遥に利用されたってことになる。  でも、その後、大丈夫か気にしてくれたし、もしすべてを打ち明けられてたら、俺の方から変わってやるって、言ってたかもしれない。 「……これ、やっぱり言わない方がよかったかな。如月くんも、悪気はないと思うんだ。ただの代表ならともかく、あそこまでぐいぐいくる女子と一緒にやりたくなかっただろうから」 「遥が嫌な思いしなくて済んだなら、よかったよ」 「まあ、渡瀬さんも、如月くん以外の男子には、そう強引なことしなそうだけど。俺も、手伝えることあれば手伝うから、遠慮なく言ってくれよな」  安堂くんの説明が、右から左に抜けていくみたいだった。  ちょっと理解が追いつかない。  でも……これまで遥が言ってたことの意味は、理解できた気がした。 「ありがとう。遥にもめちゃくちゃ頼るし、安堂くんにも頼らせてもらうよ」 「うん。それじゃあまた」  図書室へと戻っていく安堂くんを見送る。  俺は、ずんと体が重くなるのを感じた。  傷ついてるんだろうか。  だとしたら、なにに傷ついてるんだろう。  遥に利用されたこと?  違う。  そんなのは全然、構わない。  渡瀬さんが、遥を狙ってたこと?  いや、いまも狙ってる?  よく考えたら、思い当たることは、いくつかあった。  遥と同じパンを選んだり、遥と購買部に行こうとしたり、俺と帰るんじゃなくて、3人で帰ろうとした。  俺を気にかけてるだなんて、思ってた自分が恥ずかしい。  でも、もしかしたら……首席である遥のことが気になってはいたけれど、俺と話すうちに、俺のことも……。 「なんて……あるわけないか」  どんな顔をして教室に戻ればいいのか、わからなかった。  安堂くんからなにも聞いてないフリをして、なにも気づいていないフリをして、戻ればいいんだろうけど。  頭の整理が追いつかない。  教室の前で立っていると、1人、また1人と生徒が何人か出てきた。  安堂くんと話したとはいえ、そんなに長く図書室にいたわけじゃない。  教室内に残ってしゃべっていた生徒が、帰っていく。  開いたままのドアから中を覗くと、廊下を向く遥と、遥の方を向いて座る渡瀬さんだけが残っていた。  2人のところに、いかないわけにはいかない。  足を踏み入れようとしたときだった。 「……夏輝には、本以外にも、購買部で消しゴム買ってきて欲しいって頼んでたから、もうしばらく戻ってこないかも」  見計らうようにして、遥がそんなことを言った。  そんなの頼まれてない。 「そうだったの? そんないくつも頼んじゃってたなんて、ひどいよ、如月くん」  ひどい……そう言ってるけど、渡瀬さんの声は、笑ってた。  俺の知ってる渡瀬さんは、もっとちゃんと、やめてあげたらって、提案してくれる子だ。  少なくとも、ひどいよなんて言いながら、笑ったりしない。  そう俺が思い込んでただけ……?  こっちが本当の、渡瀬さんなのかもしれない。  遥をとめる気はないらしい。 「そんなに頼みたいなら、これからは私が行くよ。頼っていいからね」  遥に頼られたい……その気持ちがにじみ出てるのに、さっきまでの俺は、こんな言葉ですら、庇ってもらえてると勘違いしたに違いない。  安堂くんの話を、すべて鵜呑みにしていいのかどうかもわからなかったけど、だんだんと真実味を帯びていく。 「夏輝から聞いたんだけど。一緒に帰らないかって」 「うん。どうかな」 「それって、夏輝も一緒?」 「どっちでもいいよ。如月くんの好きな方で」  なんで、どっちでもいいんだろう。  混ざれたら嬉しいとは言ってたけど、2人でなんて話にはならなかった。  俺がいつも一緒に帰ってる遥のことも、気にかけてくれてるんだと思ってたけど……遥がいなくちゃダメだったんだ。 「でも、さすがに今日は、3人だよね」  渡瀬さんが、少しだけ残念そうに言う。 「2人がいいって言ったら、どうする?」  遥は、そんな難しい問題を、渡瀬さんに投げかけた。  俺も、遥と渡瀬さん、どっちを選ぶか聞かれた。  そういうの、聞かれても困るって思ってたけど―― 「如月くんがそう言うなら。2人で帰る?」  渡瀬さんにとっては、難しい問題じゃなかったみたい。 「……たとえ話だよ」  遥はそう付け足しながら笑っていたけれど、心では笑っていないのが伝わってきた。  そのことに、俺は少しだけホッとする。 「……この際だから、はっきり言っておくね。夏輝と仲良くなったところで、ボクとは仲良くなれないよ」 「え? なんのこと?」  渡瀬さんはとぼけていたけれど、遥がはっきり言葉にしてくれたことで、ようやく理解した。  渡瀬さんは、遥と仲良くなりたくて、俺と仲良くしてたってこと。 「本当に夏輝のこと気に入ってるなら、見る目あるなぁとは思うけど。それじゃあ、ボクのことは気にしなくていいから、夏輝と2人で帰る?」  渡瀬さんは、答えなかった。  どう答えたらいいのか、わからなくなっているのかもしれない。  2人で帰っていいの?  ありがとう。  それだけで済む話なのに。 「仲良くしたいんでしょ。ボクが入る隙なんてないよね」 「それは……ご、誤解しないでね? 橘くんとは、同じ代表として仲良くしたいってだけで、如月くんとも、仲良く……」 「ボクの大事な友達を利用する子と、仲良くできるわけないよ」 「利用だなんて……!」 「ボクは優しくないからはっきり言うけど、きみと仲良くする気はないから。それでもきみが夏輝と仲良くしたいならとめないけど、ボクは関わらない。夏輝にも伝えとく。渡瀬さんといるときに、ボクのこと話さないでって。それでも、夏輝と仲良くしたい?」 「そんな……如月くんに嫌われてまでは……」 「別に嫌うわけじゃないよ」 「ほ、本当?」 「うん。なんとも思わない。それと、返事し忘れてたけど、きみと一緒には帰らない。結局、夏輝と2人で帰る気、ないんだよね? ボクはここで、1人で夏輝を待つから」  渡瀬さんに残された選択肢は、俺と一緒に帰るか、1人で帰るかだったんだろうけど、遥の言う通り、俺と2人だけで帰る気はないんだろう。  渡瀬さんが席を立つ。  俺は、慌ててドアから離れると、その場から逃げ出した。  いま、渡瀬さんと顔を合わせるわけにはいかない。
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