8 弱み

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8 弱み

 どこへ逃げればいいのかわからなくて、購買部にやってくる。  俺はそこで、頼まれてもいない消しゴムと、プリンを2つ買った。  少し時間をおいて、もう一度、教室を覗いてみる。  そこにいたのは、遥だけ。  やっぱり、あのあと渡瀬さんは帰ったようだ。 「遅いよ、夏輝」 「人に頼んでおいて、それはないだろ」 「ごめんね。ありがとう」  謝りたいのも、お礼を言いたいのも俺の方。  少し前まで渡瀬さんが座っていたイスに座る気にもなれなくて、俺は、遥の前の席、安堂くんのイスに座った。  買ってきた消しゴムを、遥に差し出す。 「……ありがとう。頼んだっけ?」 「頼んでたんだろ」 「ちゃんと、聞いてたみたいだね」  やっぱり、俺が聞いているのを確認して、それで渡瀬さんと話し始めたんだろう。 「図書室行ったら、安堂くんがいたんだけど、ちょうど、渡瀬さんの話になって……これまでよくわかんなかった遥の話がわかってきて……」 「うん……」 「教室、入ろうか迷ってたら、遥が話しはじめて……」 「……傷ついた?」 「よく、わかんない。わかんないけど、俺、また変な勘違いで、すごい恥ずかしいやつだよな……」 「大丈夫だよ。勘違いしてたことはボクしか知らないし。あの子は、うまく利用できなかったって思ってるだけだろうから。夏輝が、あの子に気があるような発言でもしてたら、話は別だけど」  俺は、ぶんぶんと首を横に振る。  調子乗って、こっちから誘ったりしなくて、本当によかった。 「でも、ホント偶然だよな。安堂くんが、あんな話、し出すなんて……」  タイミングよく図書室で会うのも、すごい偶然だ。 「夏輝は、もう少しいろいろ疑った方がいいよ」 「え?」 「そんな偶然、ないよ。安堂くんはボクが頼んだ。放課後、夏輝が図書室に行くはずだから、そのとき、渡瀬さんがボクを推薦しようとしてたこととか、伝えておいて欲しいってね」  つまり、偶然じゃなく仕組まれてたってこと? 「ボクがあの子から逃れるために、夏輝を利用したことも、バレちゃったと思うけど。本当にちゃんと手伝うつもりで、こんな……夏輝のこと、傷つけるつもりは……」 「いいよ。傷ついたのは、俺が勝手に盛り上がってただけだから。利用したなんて……もしかしたら俺が怒るかもしれないようなこと、本当だったら、伝えたくなかったよな?」 「うん……でも、あの子がそういう子だって説明するには、必要だったから」  知らない事情もあったけど、本当に俺は、勘違いばっかりで、遥にまた恥ずかしい自分を晒してしまう。 「あーあ……」  ため息を漏らしながら、カバンからプリンを取り出す。 「どうしたの、これ」 「さっき購買部で買った。口止め料」 「口止めしたいのは、女子にちょっと優しくされたくらいで浮かれちゃったこと?」 「そ、そんなに浮かれてないよ。ただ……バカみたいに利用されてたのも、恥ずかしいし」 「誰かを利用して人と仲良くなろうとしたあの子の方が恥ずかしいよ」  そう思うと、渡瀬さんがこの件で、俺をからかったり、なにか口を滑らすことはないだろう。 「夏輝を利用していいのはボクだけだからね」  遥は、冗談っぽくそう言いながら、さっそくプリンをおいしそうに頬張った。 「いつまで俺はからかわれ続けるんだ?」 「いつまでだろうね」  遥は平気そうにしているけど、前に傷ついたって言っていた。  俺が……傷つけたらしい。 「……女だって勘違いしてたこと、怒ってないって言ってくれたよな」 「うん、怒ってないよ」 「でも、傷ついたって。なかったことにはできないんだろ」  遥はプリンを食べる手をとめて、表情を曇らせる。  せっかく笑ってくれてたのに。  でも、ちゃんと理解したい。 「……わかってないね」 「……ごめん」 「ボクが傷ついたのは、夏輝があれをなかったことにしようとしてるからだよ」  遥は、俺の方を見なかった。  本当に、傷ついているのかもしれない。 「どうしてもって言うのなら、忘れるよ? もっと一緒にいたい、好きだって……そう思ったのは全部、勘違いで間違いだった……恥ずかしい過去だって、夏輝が思うならしかたないよね」  そう言われて、やっと遥が、なにに傷ついていたのか気づく。  あのときの俺の言葉を、遥はやっぱり喜んでくれていた。  それなのに、俺は取り消そうとした。  遥が女の子じゃなかったから?  女だからとか、そもそも意識して遊んでなかっただろ。  作り笑いでバイバイしようとする遥を見て、どうしようもなくなって、溢れてきた気持ち。  遥は、やっと俺の方を見て笑った。  前にも見た、無理をしている笑顔。  しょうがない、諦めるしかない、だから笑うしかない……たぶん、そう思ってる笑顔だ。 「わ……忘れなくていいよ」 「え……?」 「ごめん。本当に……ごめん。女だって思い込んでたのは、恥ずかしいし勘違いだけど、一緒にいたいとか……他にもいろいろ思ったことは……間違いじゃ……ないと思う」  自分の顔が、すごく熱くなっているのがわかった。  あのときみたいに言葉にはできないけど、いま、同じ感情が溢れてる気がする。 「やっぱりボクのこと好きなんだ?」  遥が、ぐっと顔を近づけて、俺が濁した言葉を口にする。  もう、さっきまでの悲しい笑顔じゃない。 「いや、まあ、普通には……」 「ちゃんとした意味じゃないの?」 「そもそも、ちゃんとした意味とかわかんねぇし」  あのときだって、理解してたかどうかわからない。 「……本当は忘れたくないんだよね。忘れろって言われても難しいよ」 「まあ、俺も全然、忘れられそうにないしな……」 「そう簡単に弱みは消えないね」  でも、俺はどこかホッとしていた。  あれはたぶん、俺の正直な気持ちだったから。  あっさり忘れられたら、きっと悲しむのは俺だ。 「忘れなくていいけど、誰かに言うのはダメだからな」 「言わないよ。こんな大事なこと……」  遥は、なにかを噛み締めるみたいに、わずかに微笑んだ。 「一方的に弱み握られてるんじゃ、夏輝もやだよね?」 「まあ……」 「ボクの弱み、夏輝に教えてあげるよ」  遥の弱み?  想像できなくて、目の前の遥を見ると、恥ずかしいのか、それとも夕日のせいか、少し赤く見えた。 「きみのことが好き」  予想外の言葉で、頭が真っ白になりかける。 「……え……そ、それってどういう意味?」 「うーん……少なくとも、適当な意味じゃないよ。誰にも言っちゃダメだからね」 「……うん」  固まる俺を見て、遥は楽しそうに笑った。
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