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私は幼い頃からあまり体が丈夫では有りませんでした。
扁桃腺炎を慢性的に起こし、喉に大きなビー玉サイズの腫れが4つあり、食べ物を飲み込むのが困難なほどでした。
医師には幼く体力のない子供のうちは摘出手術も勧められないと言われたらい。
成長し、ある程度体力もついた頃にはひどく寝込むこともなくなり、腫れも小さくなったのでそのまま放置です。
「お前は体が弱いから将来事務職にでも就きなさい」
父に母にそう言われるまま大人になりました。
反抗期は成人してからw
姉は2つ年上の日本人形の様な黒髪の優等生でした。
かくいう私は、色黒ガリガリ痩せっぽっちのどちらかと言えば姉の引き立て役でしたね。
そんな姉は看護学校に進学し、両親の仕送りで看護師になりました。
姉がまだ看護学生だったころは、父はもう炭鉱を退職して退職金で家を買い年金生活でまだ労災申請をしていなかったので、爪に火を灯す様に暮らしていたのを覚えています。
もちろん蓄えはあったのでしょうが、贅沢をする家族では無かったので節約生活をしていたのでしょう。
父は晩年になってもよくこう言っていました。
「旅行?気がしれない。そんな疲れに行くくだらないものにお金を使うくらいならドブに捨てたほうがましだ」と。
なので、家族旅行なるものに行ったことがありませんし、家族揃っての外食などもありません。
私は暫く家から通勤していたのですが、ある事で家を出て職場の寮に入りましたが、姉が卒業するまで家にお金を入れていました。
(車のローンを組んだのでその支払いと+αで)
まあ、そういう訳で私は地元の病院に事務員として就職してそれからずうっと今も定年延長で働いております。
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