ひとこと

5/17
前へ
/17ページ
次へ
大晦日の日。  予想通り、お客さんは多かった。  あちこちで幼児の泣き声が聞こえる。  親が年末年始の休みになり、子供も冬休み。  外で遊ばせるには寒すぎる。しかし思いっきり遊ばせないと、子供は有り余ったエネルギーを発散させられない。親は仕方なく、室内で安く、たっぷり遊べるところに子供を連れてくる。それが室内キッズ広場だ。 「スタッフさーん。子供が漏らしちゃったんですけど〜」 「おねーさん。うちの子、よその子とぶつかって、吐いちゃったんですけど、拭いてもらえます?」 「ねえ、お店の人〜。順番を守れなくて、周りの子を殴る男の子がいるんだけど」  開店から閉店ギリギリまで、クレームと子供の泣き声しか耳に入って来ない。  つ、疲れた。赤字でいいから、閑散とした平日に早く戻りたい……。そんなことを思ってはいけないのだが、経営者でない私はつい、そう願ってしまう。  本来いるはずだった颯真がいない状態でお店を回すのが、そもそも無理なのだ。 「店長。明日、休みたいです……。体中がミシミシする」  バイトさん達が帰り、社員の私と店長だけになった事務所で、私は机に突っ伏した。 「高橋さん、ごめん。ちょっと腰に湿布貼って」  ズボンをずらして、湿布を一枚ひらひらさせている店長を見ると、疲労が一段と増した。実家のお父さんを連想させる。 「情けないお姿で……」  湿布を貼ってあげて、その上からバシッと平手で叩くと、店長は 「あうっ」 と呻いて、痛がった。 「う〜、ありがとう。助かった。高橋さん、気をつけて帰ってね」 「え?店長、帰らないんですか?」 「まだ滑り台の消毒拭きが残ってるから」 「えー!それって、下のボール拭きも?」 「うん、まあ……」  私はため息をついた。 「……私もやります。二人でやったほうが早いんで」  もう……颯真のやつ。繁忙期前に事故なんか起こしやがって。  颯真はだんだんお見舞いばかりになり、あまり仕事に来なくなった。私に連絡はほとんどない。私からメッセージを送ると既読にはなるが、返事は二、三日後。ひと言、『大丈夫』とか、『元気だよ』とかいう、よくわからないものだけだった。職場では一度も顔を合わせていない。もちろん、約束していた早めのクリスマスデートは消滅し、渡すはずだったリュックは私の部屋の押入れの隅に追いやられた。  私は薄めた消毒液を布にスプレーし、ボールを一つ一つ丁寧に拭いた。  滑り台を降りたところの、砂場に見立てたボールスペース。そこに店長と向かい合って、黙々と柔らかいボールを拭いた。私は、これが年越しになるのかなあ……とぼんやり思った。虚しい……。 「高橋さんてさ」  店長がボソっと呟いた。 「はい?」 「紅白、観る人?」  なんだ、その質問。 「NHKの、ですか」 「うん」 「観ません」  沈黙。  店長、なにか話さなきゃ、と思ったけれど、思いつかなかったんだな。別に沈黙のままでいいのに。仕事をしているんだから。  それでも、今度は私から尋ねた。 「あの」 「ん?」 「颯真がもし起訴されたら、どういう罪になるんですか?」  店長は顔を上げ、厳しい視線を私に向けた。 「『重過失致傷罪』だと思う、たぶん。詳しくはわからないけど」  店長は即答した。おそらく颯真を心配して、いろいろ調べたんだろう。 「起訴されたら、本社って颯真をどうするんですか?」 「わからない……。でも不起訴になるかもしれないし」 「そうなんですか?」 「事故後の市原の行動や相手に対する処置は非常に良かったし。それに毎日お見舞いに行って、世話をしてるそうだよ。そういうところを考慮してもらえるんじゃないかな」  そういうものなのか。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加