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【掌篇】続・漆黒!
【掌篇】漆黒!
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【名もなきひとが残さなかった足あとを記す】
心地よく整えられた自室で、呉永思は頭を垂れた。
手には長い書簡がある。
都の役人として働いている友人の胡正からのものだった。
「案じていたことが現実になったか……」
呉永思は長い長いため息をついた。
三年ほど前のことだ。
呉永思は、病床にあった胡正を見舞う書簡を送った。
国でも指折りの書の達人であり、二人の上司であった今は亡き張孝英の筆跡で。
それを清書したのが譚封月だった。
嬉々として下っ端役人の使い走りをしていたのを、呉永思が無理やり引き抜いたのだ。
張孝英に子はおらず、後継者もいなかったのは有名な話だ。
けれども張孝英が大切に育んだ譚封月は、ただひとりの弟子といえた。
張孝英が表に出さず、譚封月本人も出世を望まなかったので、呉永思と胡正はその存在を極力伏せていた。
ところが都では、胡正の家の使用人と部下を通して噂が広がった。
稀有な筆跡はもちろん、譚封月が上質な墨の製法を知っていたためだ。
胡正は使用人と部下にすぐに暇を出したが、役人どころか帝にまで話が伝わってしまうともう逃れようがなかった。
呉永思は泣く泣く譚封月を都へと送り出した。
その頃には譚封月は呉永思の右腕として、なくてはならない存在になっていたのだ。
当の譚封月は公費で好きなだけ墨の研究ができると聞き、意気揚々としていたものだ。
そのままの勢いで、請われるままに至宝ともいえる墨の製法を語り作って見せたという。
しかし実際に富と名声を得たのは、胡正の元部下だった。
解雇した胡正を逆恨みし、譚封月の手柄を自分の発明として世に出した。
譚封月は姿を消した。
気ままではあるが律儀な男でもある。
都での衣食住を提供している胡正や、上司の呉永思に何の相談もなくいなくなることは考えられなかった。
手を尽くして譚封月を探しているが行方が知れない。
それが胡正の書簡の内容だった。
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