川辺の子

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 川辺の子 「もういらないの? 体調でも悪い?」  半分以上おかずの残った皿を前に母は不安そうな顔を浮かべている。ぼくは「お腹がすいてないから」と言って自分の部屋に戻った。部屋に戻ると、父と母がなにか言い合いをしているような声が聞こえてくる。  たぶんぼくのことについてだろう。父親の転勤で転校してきて1ヶ月。小学校の子たちとは話が合わなかった。誰もネットやゲームの話をしていない。登下校で近所の子達と歩いて学校に通っているけど、いつもぼくは最後尾で一人ぼっち田んぼの畦道を歩いていた。  いじめられても、無視されてもいない。でもなんとなく輪に入れない。引っ越す前の学校は街の中にあったのでときどき駄菓子屋に寄ってみんなでお菓子を買って食べたけれど、引っ越し先にそんな店はなかった。集団登下校の途中で何人か男の子たちが通学路をそれて寄り道している事に気がついた。用水路で石を投げたり、水を張ったばかりの田んぼでカエルやザリガニを捕まえたりしていた。  ある日の帰り道、いつものように数人の男子がいなくなり、女子と低学年の子たちが先行して歩いていくのを後ろから歩いていると、川のほとりでひとりぽつんとこちらを見ている男の子がいるのを見つけた。やせっぽっちでぼさぼさの頭。同年代くらいに見える。あれはどこの子だろう。そう思っているといつの間にか消えていた。  それから毎日下校のたびに川のほとりでその子を探した。今度こそ声をかけようと思っているうちに数週間がたった。その日も遠くのほうでその子を見たような気がして川辺まで行くけど誰もいない。それで引き返そうとすると、「なあ」という声が突然聞こえて驚いた。  ふと振り返ると、川の縁にある茂みの中にその男の子が座っていた。あっけにとられて黙っていると、その子は「なにか食べるものもってないか?」と聞いてきた。 「あの、給食の残りのパンなら」  ランドセルからハンカチに包んだロールパンを取り出してその男の子に差し出すと、その子は嬉しそうに飛びついてそのパンを食べた。 「ねえ、このへんに住んでるの?」  ぼくが聞くと、その子はそんな感じ、と答えた。みなりはこざっぱりとしていて栄養失調という感じでもなかった。食べ終わるとその子は「もうないのか?」と聞いてきた。それしかない、と答えると、「そうか」とその子は立ち上がった。 「じゃぁ魚でも釣るか。お前もやるか?」  川辺の子は尋ねた。少し迷ってから「うん」と答えた。  木の棒とタコ糸で作った粗末な釣り竿に、パンくずを引っ掛けて川に向けて釣り糸を垂らした。 「こんなので釣れるの?」とぼくが聞くと、「魚次第だな」とその子は答えた。案の定あたりが薄暗くなるまで待ってもひっかかる気配がなかった。 「ねえ、家の人が心配するよ」と帰ろうと提案するが、その子は「お前は帰れ」と言った。「俺はまだいるから」  一緒に帰るものと思っていたぼくは急に突き放されたような気になって寂しくなった。帰ろうと立ち上がると、「俺はだいたいこのへんにいるからまた来いよな」とその子がぼくに向かって言ってくれた。 「うん」と振り返って答えた。  川辺の子はだいたいいつもお腹をすかせていたので、給食の残りを持って帰った。パン、牛乳、ゼリー、プリン、あられ、ランドセルに入れて持ち運べるものならぜんぶ。学校には友達がいなかったので、その子と遊ぶ時間が毎日楽しみだった。川で食べられる魚や野草を教えてもらった。オオバコやシロツメクサの茎を使って引張りあい、切れたほうが負けになる草相撲をした。  ある日の帰り道、いつものように川辺の子に会おうとしていると、男の子たちにザリガニ取りをしないかと誘われた。川辺の子の顔がちらりと浮かんだけれど、誘われたのが嬉しかったのでぼくは一緒にザリガニ釣りをすることにした。小さく切ったイカの足を餌にして釣り糸を垂らしてザリガニを釣った。夕日が落ちかける頃、ぼくたちは一緒になって家に帰った。  それから毎日のように男の子たちと遊ぶようになり、川辺の子とは会わない日が続いた。下校の途中で川辺に目を向けるが、あの男の子が立っていることはなかった。  あれからぼくは大人になった。あの日以来一度も川辺の子に会うことはなかった。あの子がどこの子なのか周りの人は誰も知らなかったし、見たこともないと言った。あの子がどこから来て、どこに帰るのか今でもわからない。もう一度会いたいような気もするけれど、ちょっと会うのが恐ろしいような気もする。今あの子がどこで何をしているかたまに考える。でもどういうわけかぼくは今でもあの子が川辺に座って一人静かに釣りをしているような気がしてならない。 了
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