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大学を辞めて戻って来た修斗は、しばらくの間は家から出る気にもなれず引きこもっていた。親の知り合いの建設会社で働かせてもらうようになったのは、ほんの少し前からだと言う。
「そいつら、ムカつくね。私も一発ぐらいぶん殴ってやりたい」
「そうなんだけど、実力は確かだったんだよな。悔しいけど」
怒りに震える私の隣で、修斗は自嘲気味に笑った。
「モノが違うっていうか。体つきとかが根本的に違ってて、バッティング練習してると大根でも切るぐらいの勢いで軽く柵越えすんの。高卒でプロに入るような奴らって、あいつらよりもさらに上なんだからさ。世の中って広いよ。俺が想像していたより、ずっと」
そうか。
私はようやく悟った。修斗は決して誰かに夢を断念させられたわけじゃないんだ。きっかけはどうあれ、自分の限界を突き付けられ、夢破れて帰って来たのだ。
とはいえ野球一筋で生きてきた修斗には、野球以外にこれから先何をしていいかなんて、考えが及ぶはずもない。誰よりも彼を側で見てきたからこそ、抜け殻のようになってしまった修斗の気持ちもよくわかった。
「じゃあ……これからもこの町にいるんだね」
「うん。とりあえずは」
「だったら」
また一緒に頑張ろう。次にやりたい何かが見つかるまで、私も修斗に協力するよ。そう喉元まで出かかった時だ。
「とりあえず、俺の手伝いでもしてもらおうか」
熊のような巨体が後ろからぬっと間に割って入り、私達はとび上がった。
「か、監督!」
「お父さん、どうして!」
「俺も歳のせいか、だんだん体力がなくなってきてな。いい加減助手が欲しいと思ってたんだ。それにこいつらも、お前が顔見せなくなって寂しがってたんだよ」
さっきまでグラウンドにいた野球少年達まで、いつの間にか私達の背後に勢揃いしていた。
「修兄ちゃん、また教えてよ」
「監督、最近ノック下手くそなんだ」
「時々空振りするんだよ」
「こらお前ら、余計な事までいいやがって! 用が済んだらさっさと戻って練習しろ!」
熊のような父が大きな拳を振り上げると、子ども達はケタケタ笑いながら逃げ惑った。
「修兄ちゃん、早く!」
「行こう行こう!」
「菜摘姉ちゃんも!」
どさくさに紛れて私達の周囲にまとわりついた子ども達が、そのまま私と修斗を連れ出そうとする。
「おいおい、お前ら! ちょっと待てよ!」
助けを求めるように手を伸ばしてきた修斗の手を握り返す。いつの間にか、修斗の顔に笑顔が戻っていた。つられて私も笑顔になる。
揉みくちゃにされながら、子ども達から立ち込める汗と土埃の匂いに、私達が出会った頃の、懐かしい気持ちが蘇る。
あの頃の私達には、夢なんてなかった。約束なんてなかった。ただ毎日のようにグラウンドに集まって、日が暮れるまで泥だらけになってボールを追いかけていればそれで良かった。
何も不安になる事なんてない。心配する事なんてない。私達が望みさえすれば、いつだってあの頃に戻る事はできたんだ。ただ毎日がキラキラと輝いて楽しかった、あの頃に――。
満開の桜の下、子ども用の小さなヘルメットを頭にのせ、バットを構えた修斗の掛け声がグラウンドに響き渡る。
「しまっていくぞーっ!」
「おーっ!」
子ども達の応じる声が、青空へと突き抜けていく。
一年前から止まっていた私達の時計が、再び動き出す音が聞こえたような気がした。
〈了〉
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