散り桜

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「仏堂川って菜摘の地元なの? だったら一緒にお花見行こうよ」  いつだって知佐の誘いを断った事なんてなかったのに、この時ばかりは反射的に拒否反応をもよおした。できれば行きたくない場所だった。 「そんな大した事ないよ。それに確か、桜まつりは来週だもん。桜もまだ咲いてないし、出店だって出てないんじゃないかな」 「だからいいんじゃない。駐車場だって空いてるでしょ。運転の練習兼ねて、ね?」  でも並べた理由はどれも知佐を諦めさせるには至らず、専門学校の授業を終えるや否や、私は抵抗空しく知佐の車のナビシートへと押し込まれた。冬休みに免許を取ったばかりの知佐は、何かにつけて私を練習に付き合せようととするのだった。  堤防沿いに約二キロ続く仏堂川の桜並木は、地元では有名なお花見スポットだ。とはいえまだ三月の下旬、蕾は膨らみつつあるものの、どこを見ても人影はまばらだ。 「あ、でもちょっと咲き始めてるじゃん」 「ホントだ」  ここ数日、陽気が続いたせいだろうか。予想外にぽつらぽつらと花開く蕾が見つかると、自然と心は弾んで来た。何枚か写真を撮り合ったりしているうちに、胸のこわばりが解れてきたような気がしたものの―― 「菜摘、ほらあそこのベンチ空いてるよ」  知佐が示した先を見て、唇を噛む。堤防に設けられた数少ないベンチは、私たちを待っていたかのように空席だった。 「えー、お花見なんだから歩こうよ」 「なんで? せっかくドーナツ買って来たのに。決めた、あそこで食べよっ! ほら、眺めもいいし素敵だよ!」  踊るようにベンチへと駆け寄った知佐が、全身で手招きする。観念して、私も知佐の隣に並んで腰を下ろした。右左、座る位置があの時と逆なのはせめてもの救いか。  抹茶オレを片手に、買って来たドーナツを頬張る。目に映るのは桜並木と薄曇りの空、キラキラと輝く川の水面、そして河川敷には野球に興じるユニフォーム姿の小学生たち。川面を見下ろすこのベンチが最高のロケーションなのは、私のほうが良く知っている。  キーンという金属バットの音と威勢のよい掛け声がのどかな空気を切裂いていく。ノック練習が始まったようだ。 「すごいなぁ。今時少年野球のチームなんて残ってるんだね。あの監督さん、熊みたいで怖そう」 「……あれ、うちのお父さんなんだ」  くすりと笑ったまま、知佐の表情が固まる。 「お父さん? あの、バット持ってる熊が?」 「そ」 「なんだ、だから来たくなさそうだったのか。言ってくれればいいのに。へぇー、菜摘のお父さんって野球教えてるんだね。カッコいい」 「今熊って言ったよね?」  私がツッコむと、知佐はぺろりと舌を出した。  友人に父親を見られるのは気恥ずかしいものだけど、ここに来るのが嫌だったのは、それだけが理由じゃない。  このベンチに座れば、嫌でも記憶が蘇る。きっと知佐と一緒じゃなかったら、桜が満開だったら、一人で泣いていたかもしれない。 「さ、食べ終わったらさっさと行こっ!」  胸の奥にわだかまる苦々しいものが込み上げてくるのを感じて、私は残ったドーナツを口の中に押し込むと同時に、勢いよく立ち上がった。 「なによぅ、もうちょっとゆっくりしたっていいじゃない」 「感傷に浸りたいなら、一人で来た時にしてね。私、この後バイトだし」 「菜摘のわからずやー」  漫画みたいにぶんぶん腕を振りまわしながら知佐が追いかけてくるから、私は思わずふき出した。知佐の底抜けの明るさだけが救いだった。  車に戻ってみると、いつの間にか駐車場は数台のトラックと作業着姿で込み合っていた。  金属のパイプ等があちこちに広げられ、縞模様のテントやステージが組み上げられていく。来週に迫った桜まつりの準備が始まったらしい。 「大変、車出られなくなっちゃう!」  慌てて駆け出した知佐が、ヘルメット姿の職人さんとぶつかりそうになる。職人さんが担いでいたパイプを落とし、ガランガランとけたたましい音が鳴り響いた。 「ごめんなさい!」 「こっちこそ……」  振り向いた職人さんと目が合った瞬間、私は凍り付いた。 「馬鹿野郎! どこ見て歩いてんだ! ぼやぼやしてねえでさっさと持って来い!」 「すみません!」  罵声に我に返ったかのように、パイプを拾い上げた職人さんが走り去っていく。 「……ねぇ、どうかした?」  怪訝に思った知佐から声をかけられても、私は凍り付いたまま動けずにいた。  今見たものが、信じられなかった。  ヘルメットの下から覗いた顔は、一年前にこの町を出て行った修斗に違いなかった。
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