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「そう言えば……」  志信の言葉に俺は不意に現在に引き戻された。 「この前、美琴さんが来たぞ」 「美琴が?」  美琴は俺の娘だ。  彼女はここからそう遠くない都会の大学に行っている。 「父の親友に会いたかった、ってな。お前、依子さんと離婚したのか」  志信が納戸茶の絽の袖をまさぐりながら言った。俺は少しだけ苦笑して、懐の煙草ケースを取り出し、テーブルの端に置いた。カチリ……とライターの石が軽い音を立てた。 「彼女が望んだ事だ。異論は無いさ」  俺の妻、いや妻だった女は大学で知り合った。あの土地ではかなり名の通った旧家の娘で、女ながら医者の道を目指していた。  当時、彼女は俺の先輩の院生と恋仲だったのだが、恋人の男は当時まだ盛んだった学生運動にかなり深く関わっていた。  妻だった依子は彼に深く傾倒していて、一途に愛していた。  だが、彼は依子以上に『革命』とやらを愛していた。俺たちが臨床実習で配属された病院に先輩が担ぎ込まれた時には依子も俺もさすがに絶句した。  生命に別状は無かったが、警察が何度も病室に押し掛け、全快を待たずに先輩は警察病院に移送された。  そして、先輩は傷害罪で実刑判決を受けて服役。  当然、依子は先輩と別れさせられたが、その時既に依子のお腹の中には子どもがいた。 「もともと、依子とはお腹の子どものために……美琴のために父親が必要だから結婚しただけだ。……俺と籍を入れた後も依子は拘置所に通っていたしな」  まぁ俺の子が出来た事にしたから俺は自分の両親からも依子の両親からもえらく怒られたが、『責任を取りたい』という誠意を見せたことで、学生結婚にはなったが事無きを得た。  俺たちの卒業までは依子の両親が美琴の面倒を見てくれていた。 「その先輩がやっと戻ってきたんだ。……俺の役目は終わりだ」  志信はなんとも言えない表情で俺を見た。 「お前はそれでいいのか?」  俺はふっ……と街中に視線を移した。  揺れる紅い(はた)は、あの日、依子と先輩が必死で振り付けた旗に何処か似ていた。
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