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十二
『お前たち、また一緒か。仲良いなぁ~』
とある日、学食で昼飯を食いながら、午後の講義の生理学の予習をしていた俺たちの傍らに、ぬっ……と人影が立った。
「成澤先輩……」
彼、成澤誠は、大学院の一年生で外科学を専攻していた。俺たちの受講する講義や実習でたびたび助手を務めたこともあり、いわば顔見知り……といったところだ。
外科学を選んだ理由を、はっきりと
『そりゃあ外科医はモテるからな』
と言い切った男だ。
服装も流行りの服で長髪にしていたが、はっきり言って厳つすぎて似合わない。後日、彼女に言われてバッサリ切ったらしいが。
「ところで、菅生を見かけなかったか?……今度の集会、あいつにも出て欲しいんだよな」
成澤先輩は、菅生先輩とは同じ学生寮の出身だった。院に入ってから、新たに入ってくる学生のために寮を出て下宿に移った、という話だ。
『寮にいた頃にはしょっちゅうダベってたのに、最近あいつ冷てぇんだよな……』
アイツのマルクス論を皆んなに聞かせてやりたいのに……とボヤく言葉に俺と依子はいささか眉をしかめずにはおれないのだが、さりとて悪い人では無い。快活で人当たりもいい。
「あ、そうだ。お前たちも参加しないか?……学生委員長も来るし……」
ズイ……とテーブルに乗り出す先輩にやや引き気味になりながら、ふたりでフルフルと首を振る。
「いや、いいです……俺、寮生じゃないし、『資本論』も読んだことないし……」
「私もです。……それに、バイトもあるし」
なんとか言葉を探して断ろうとする俺たちに成澤先輩が顔をしかめる。
「駄目だぞ。……学生ならそのくらいの教養はつけておかないと……。いや、われわれ学生がこれからの社会を変えていかなきゃならないんだ。マルクスくらい読んでおかなくてどうする!」
いっそう熱の入る先輩の演説にたじろぎながら、必死で先輩の唾液から昼飯のオムライスをかばう。
「いや、そんなこと言われても……」
オムライスの危機もここに極まれリ……と悲壮な気持ちになったあたりで、ポンっと形の良い手が成澤先輩の肩を叩いた。菅生先輩の端正な面差しがその背後から覗く。
「何やってんだ。……後輩に迷惑かけるな」
「おぉ、菅生、探してたんだ。今度の集会なんだけど……」
「俺は行かない」
成澤先輩の言葉を遮って、静かな声音が答える。
「俺は徒党を組むのは嫌いだ、と以前から言っているだろう」
「いや、そうは言ってもだな……」
「それより、お前、後輩に絡む前にやる事あるだろ……外科二の教授が呼んでたぞ」
「わ、ヤベっ……」
何かを思い出したのか、小さく叫んで、そそくさと踵を返して成澤先輩は小走りに去った。
その背中に、菅生先輩が小さくため息をついた。
それは俺たちのオムライスが守られた安堵のそれとは勿論違う。
「成澤が、悪かったな……あいつも悪いヤツではないのだが」
「大丈夫です。……実習ではお世話になってますし」
代わりに詫び言を言う菅生先輩に俺たちは小さく微笑んで返す。
実際、成澤先輩は言動と行動に多少難アリだが、こと実習や授業に関する指導やフォローは実に丁寧で親切だ。
後輩の学生の苦手や不得手な部分を素早く察して、的確なアドバイスをくれたり、克服できるよう手を貸したり労力を惜しまない。
まぁその後に、ー誰かいいコいないか?ーと言い出すのが難点だが。
とは言え、成澤先輩はモテる。強面寄りの容姿はともかく、気遣いの細やかさは女子には受ける。
『アイツは大病院の跡取り息子だからな……』
菅生先輩いわく、成澤先輩の親御さんは地方の大病院の院長だそうだ。いわゆるボンボンなのだが、本人は誰よりもそれを嫌がっている……という。
だから、俺たち後輩にも気さくに人一倍気遣ってくれるのだろう。
だが……。
「あまり運動にのめり込むな……と、再三再四、言ってるんだがな……」
ため息混じりに言う菅生先輩の表情は真剣そのものだ。
「ブルジョワと揶揄されることを厭うのはわかるが、ここで幾ら騒いでも……な」
医学部に通う学生の大半は中流かそれ以上の家庭の子どもだ。菅生先輩のように奨学金や支援を受けている学生もいるが、そういう学生はむしろ運動から距離を置く。
バイトに忙しかったり、良い成績を維持するためには、集って熱弁を奮っている暇は無いのだ。
『あいつらは、本当のプロレタリアートを知らない……』
そう呟く菅生先輩の表情はいつも険しく暗い。
けれど成澤先輩に対しては決して悪い感情を抱いているわけではなさそうだった。
『ゲバ棒だの、鉄パイプなんか絶対に持つな!……外科医にとって手は命なんだからな!』
事あるごとに真剣な眼差しで口酸っぱく言われる成澤先輩も、『わかってる』と素直に頷くのは、寮の同室で過ごした日に育んだ彼らだけの日々があるからだろう。
ちなみに、俺はマルクスを読んだことが無いわけではない。けれど、それは絶対に口にはしない。
志信との約束だった。
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