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志信と佳世乃さんの母親はこの街では名の知れた芸妓だった。早くに亡くなったが、美貌で芸に優れた(ひと)だったという。  贔屓の客は数多いたが、結局はこの街の男性と一緒になり、ずっとこの街から出ることは無かった、と聞いた。  佳世乃さんは、お茶屋の主人となったその男の娘らしい。女にしては豪胆な性格で、志信や周囲の人を慌てさせたことも一度や二度では無いらしい。  反対に志信は子どもの頃から物静かで、母親譲りの美貌と相まって、こちらのほうが女性なのでは、とよく疑われたそうだ。 『身体が弱くて婆さまに女の格好をさせられていたせいもあるがな……』  志信は自嘲気味に笑うが、志信の祖母、先代のお茶屋の女将が志信に女の子の格好をさせていたのは、それだけの理由ではない。  志信の実父は、母親が芸妓として全盛を誇っていた頃の贔屓客のひとりだった。相手はとある財閥の御曹司で、当時は売出し中の若手議員だったそうだ。志信の母親と恋仲にはなったが、花街の女と由緒ある家柄の子息の結婚など許されるわけはなく、彼女は相手に黙って子どもを産んだ。  戸籍上の父親になったのは、やはり母親の贔屓筋だったさる流派の能役者で、既に押しも押されぬ重鎮であり、かつ芸事の世界ではありがちな話だったから、誰も疑問を呈する者はいなかった。……ただひとり、志信の実父を除いては。  志信の実父は、一途で実直な性格の男だった。贔屓の芸妓だった志信の母が子どもを産んだことを聞きつけ、引き取りたいと幾度も熱心に懇願してきた。  結婚した相手の令嬢がなかなか子どもに恵まれなかったことも要因のひとつだったようだが、志信の祖母は頑としてこれを拒んだ。そして赤子の志信を女児だと偽った。 『あの子は貴方の子ではありません。産まれたのは、女の子です。花街で産まれた女の子は母親のもとで育てるのが慣わしです』  若干二十歳の志信の母に代わり、茶屋の女将であった祖母は、自分の後継者にと食い下がる若者を剣もほろろに退けた、という。  その後も諦めず様子を伺い続ける実父とその妻の目を避けるため、志信は長く自宅では女装をしていた。    実際、俺と志信はある意味、幼馴染のようなものだったが、最初は俺も志信が男だということに気付かなかった。
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