19人が本棚に入れています
本棚に追加
三
志信がこの街から出ていきたがった理由は、街の中の事ばかりではなかった。
中学校への登下校の際や学内でも、志信の美貌は人の目を引いた。学生の中には花街の出ということを陰で揶揄する輩ばかりでなく、ちょっとした隙に狼藉に及ぼうとする教師や上級生までいた。
俺はガキの頃からなんとしても志信を守らねばと心に誓っていたから、そういう学生と殴り合いの喧嘩もした。上級生に殴られてズタボロになっても、俺は志信を守れれば、それで良かった。
母もしょっちゅう傷だらけになっている俺を心配はしたが、叱りはしなかった。
さすがに教師に拳を振り上げて停学になった時には、父にもこっぴどく叱られたが、事の次第を話すと、うぅんと唸ってそれ以上何も言わなくなった。三日間の停学が解けて学校に行った日には、その教師はいなくなっていたが。
そして父の奨めで俺は剣道を始めた。強くなりたい、強くならねばの一心で稽古に打ち込んだ。まぁ幸いに筋が良かったらしく、高校を終わるまで学内で俺や志信に絡んで来る奴はいなくなった。
だが、志信を取り巻く環境は決して良くなってはいなかった。むしろ過酷になっていた。
志信の祖母や周りの大人たちは、中学に入って髪を切った志信に鬘を付けさせ、相変わらず酒席に侍らせるばかりではなく、『衿替え』までさせようとしていたのだ。
その話を聞いた時、俺は驚愕した。『衿替え』は、半玉が一本立ちの芸妓になる時にする儀式的なもの。謂わば花街の成人式のようなものだが、志信は男だ。半玉のフリをすることはあっても、本業の妓女とは違う。
『そういう変わった趣向の客もいるんだとさ』
吐き捨てるように、苦々しげに志信が言っていたのを俺は今でも覚えている。
そして志信にはそれを拒否することが出来ない状況があった。
志信をずっと養ってきたのは、祖母の女将だ。病がちの母は医者代、薬代などを女将に借りていたし、客とのイザコザは全て女将が収めていた。
本来は母の所属する置屋が負担することなのだが、母はすでに一本立ちしていたし、その置屋自体が戦後の混乱期を乗り切れず、廃業していた。
だからこそ、女将は志信を茶屋に引き取り、自分の手元で育てることに決めた。
表立って認知出来ない実父からは何がしかの口止め料は得ていただろうし、能役者の養父からも少なくはない養育費が支払われていただろうことは確かだ。が、それでも男の志信に女の格好をさせて客の目を引かねばならぬくらい、茶屋の経営は逼迫していた。というよりも街自体が困窮していた。
けれど、そんなことは志信には何の関係も無い。まともに面倒を見てもらったことも無い母親の借金など関わりも無い話だ。理不尽な恩義の押し付けに思春期の志信はひどく苦しんでいた。
だが、志信の苦悩を余所に、『衿替え』の披露目の日は刻々と近づき、日を追うごとに志信の苛立ちはひどくなっていった。
そして俺は志信と初めて関係を持った。
三十年くらい前の夏の盛りだった。
最初のコメントを投稿しよう!