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──木陰で佇む背の丈の低い青年のかんばせに花影が落ちる。薄桃色の花びらが舞うなか、俺はじっと彼を見つめていた。瞬くたびに目元に影が差す睫毛は同齢の男よりもずっと長く、ときおり空気を震わせる笑い声はささやかな温度を伴って鼓膜へと届く。
唇が象る音はあまやかで美しい。音の響きが滑らかなものであることに反し、口を開けば悪態を並べ立てるさまも含めて俺の悪友を形作っていた。
「──……」
これでは花見というよりこいつを見ているだけだ。そうは思っていても存外、一度視線を奪われると離し難いのが人間というもので。俺はただのひとつの言葉もなく悪友の整った横顔を眺めていた。
こいつのかんばせにも、声にも、言葉にも。嘘偽りというものが入り込む隙間がない。精巧さと緻密さを持って完成された、たったひとりの悪友であり親友だ。
俺は悪友のことを『きれい』だと思っている。
単なる美醜の話ではない。
人として『きれい』だと思っている。
「──あのなぁ、見すぎ」
呆れた声が鼓膜を打った──気付けば悪友はこちらを向いてかすかに口元を緩めている。
「あ」
途端にバツが悪くなり視線を彷徨わせれば、悪友は口角を上げてこちらに詰め寄ろうとしてきた。
地面を靴底で躙り距離を取ろうとすると彼は乏しい表情に更に楽しげな色を添える。静かな攻防は俺よりもいくらか細い手が胸ぐらを掴んだところで終止符が打たれた。身長差の関係で前のめりになる俺に、悪友は心底愉快そうに尋ねる。
「なに。何を考えてたんだよ」
「いや、別に──……」
口篭る俺へ悪友は面白くなさそうに片眉を吊り上げた。まとう空気が僅かに揺らぎ、機嫌の悪さが滲む。
「隠すことはないだろ」
「喋るほどのことでもないしな」
「ああ言えばこう言う」
「一緒に居るうちに似通ったんだろ」
喋るほどのことでもない、というのは。
本当であり嘘でもある。
減らず口を体現したようなやり取りは普段とそう変わりはしないが、向かいの睫毛の奥のまなこはかすかに動く表情とは異なり感情をつゆほども映さず何を考えているのか読み取れない。
見開かれたほの暗い黒に宙を舞う桜色がひらめく。まるで昏い水面のようだ。背筋が粟立つのを感じた。
「──どうしても教えてくれないのか」
悪友の声がほんの僅かに揺らいだ。
心の奥底を浚おうとする悪戯な声でなく、ただ、寄る辺のないひとりぼっちの子どものような声だった。
「──」
「帰る」
その声に気を取られ言葉を紡げなくなってしまった俺に背を向けると悪友はさくさくと歩を進めて帰路を辿っていく。渦巻く感情の起伏が読み取れずに『後で連絡を入れよう』とだけ決めた俺は、のちにその選択を後悔することになる。
「──え」
悪友は俺と会ったときを境に、行方をくらませた。
俺がそれを知ったのは四月一日も過ぎ、
花散らしの雨が降る日のことだった。
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