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その時、遠くからゆっくりと軒車がやってきた。幌の被さった赤い色の派手な軒車は、閻魔王しか乗ることができないものだ。
周囲の獄卒たちがかしこまって身を低くしている中、紅花だけが軒車見上げていた。幌で隠れていて今日も顔は見えない。彼の顔を見たのは冥府に来て一度きりだ。
隣の玉風が慌てた様子で紅花の後頭部を掴み、頭を低くさせる。
軒車の行き先は、獄吏たちが決して立ち入ることのできない後宮だ。閻魔王が近付くと大きく威厳のある立派な門が開き、軒車を招き入れる。
紅花は閉まりゆく門を横目に見ながら、ちっと舌打ちをした。今日もろくに帝哀の顔を拝めなかった。それが悔しい。
玉風が手を離してくれたので、姿勢を戻して後宮の高い壁を睨み付ける。
(あの中に入れたら、もっとあの人を見られるかもしれないのに)
後宮内には十王たちそれぞれの私室があり、その東西南北に皇后や皇貴妃たちの棲む宮殿があるらしい。中はさぞ華やかなのだとか。
紅花の様子を見て、玉風が溜め息を吐いた。
「紅花は変わってるわよねえ。あんな恐ろしい男のことが好きだなんて」
第百五十代閻魔王、帝哀。生きていた頃の記憶などもうない紅花が、唯一覚えている最古の記憶の中には彼がいる。
地獄に落ちた人間は順次、秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王の元で審理を受け、その七回で終わらない場合は平等王、都市王、五道転輪王とも会うことになる。彼らは十王と呼ばれる裁判官のようなもので、各王の庁舎では日々多くの人間が生前の罪を裁かれている。
紅花も、死して三十五日目、初めて閻魔王の帝哀に会った。
誰よりも美しいと聞いていた彼の顔は焼け爛れていた。曰く、彼は人を地獄に落とした分、その報いを受けているらしい。人に苦しみを与え、その責任として自身も苦しめている。閻魔王としての責任の重さと覚悟を感じた紅花は、何故かぽろぽろと泣いてしまった。彼を好きだと思ったからだ。
一兆六千億年間、彼にまた会いたいという気持ちで地獄をやり過ごしていた。
冥府を代表する紅の花々が咲き誇り、風も空もない冥府。
(あなたが欲しい)
閻魔王への恋心。ただそれだけが、紅花の魂をこの場所に留めているのだ。
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