二幕

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二幕

 ■  幌の被さった青い色の派手な軒車。ある意味思い出深いそれに乗って、紅花は宋帝王・飛龍と共に閻魔王の区域へ向かうことになった。  魑魅斬は元々花の件が解決すれば紅花に休暇を与えるつもりだったようで、あっさりと送り出してくれた。  外の鬼が力を入れると、軒車は宙に浮き、宮殿よりも高く舞い上がる。遠くなっていく宋帝王の区域を見下ろしながら、何だか感慨深く思った。 「……ありがとう、飛龍」  思えばこの軒車の行く手を阻むことがなければ、こうして後宮入りし、閻魔王の区域へ向かうこともできなかった。飛龍にとってはただの気紛れで、気に入らない獄吏を苦しめたかっただけかもしれない。でも、そのおかげでこうして好きな人に会いに行ける。 「君を後宮に招いたのは間違いだったかもしれないね」  飛龍は昨夜から不機嫌だ。天愛皇后が紅花をこれほど気に入ることは想定外だったのだろう。昨日は紅花の話ばかりで夜伽もできなかったらしい。 「今からでも追い出そっかなぁ。後宮から」 「それだけはやめて。絶対に。絶対に嫌」  飛龍がとんでもないことを言い出すので慌てて拒否する。  もうすぐ閻魔王と会えるというところで追い出されては悔やんでも悔やみきれない。本当にやめろ、という目で飛龍を睨み付けると、飛龍は愉しげに笑みを深めた。 「もっと必死にお願いしてよ。地べたに這いつくばって俺の靴を舐めるくらいのことをしてくれたらお願いを聞いてあげないこともないよ」 「それも嫌」 「君ほんっと態度悪いね? 喜べよ、俺の靴舐めれんだぞ」 「それで喜ぶのは貴方の愛人の男たちだけでは?」  鬼の運ぶ軒車の移動速度は速い。  飛龍とくだらない言い合いをしているうちに、早速閻魔王の区域の大門が小さく見えてきた。  幽玄で神秘的な雰囲気に包まれた、赤く輝く大きな門だ。その威圧感にごくりと唾を飲んだ。  鬼の門番たちは宋帝王の乗り物の姿を確認すると、重い大門を開く準備を始める。  門番鬼はこれまで見てきた獄吏の鬼よりもうんと恐ろしい形相をしている。面と向かって話すには緊張しそうな程恐ろしい顔だ。 (確かに、一人で交渉するのは難しかったかも……)  元宵節の時期でない場合、他区域に入るには、あの門番に交渉を持ちかけなければならないらしい。  紅花は当初、門番くらい倒して中に入ればいいなどと過激なことを考えていたが、あの大きな体を一人で倒すことはかなり難しそうだ。  改めて天愛皇后が与えてくれた貴重な機会に感謝した。  門を潜ると、宋帝王の区域とは違い、石の舗装路が静かに延びていた。一目見て植物が多いと感じる。舗装路の両端に古い松や梅の木があり、その枝は曲がりくねっていて、時折青い月光が葉を透過している。宮廷の女性たちは優雅な着物を纏い、静かに歩き回ったり、立ち止まって木々の花を鑑賞したりしていた。 「……月」  紅花は驚いて上を見上げた。 「月があるのね。閻魔王様の後宮って」  月を見たのは一兆年ぶりだろうか。冥府には空がない。紅花が知る限り、天体もないはずだ。おそらくあの月は歴代の王が観賞用に造ったものだろう。植物が多く植えられているところから見ても、過去の閻魔王たちは目に映る美に重きを置く性質だったのかもしれない。 「帝哀のお父上がまだ閻魔王だった頃に造ったものだよ。この区域でだけ見えるんだ」 「素敵……」 「そう? 月って不吉じゃない? 俺は趣味悪いなあって思ったけど」 「帝哀様のお父様に対して何てこと言うのよ、不敬よ」 「宋帝王である俺に向かって敬語も使わない君が不敬とか言う?」  飛龍がひくりと片側の口角を引きつらせる。  確かに自分がどうこう言える話ではないと思い紅花は口籠った。  幌の間から少しだけ顔を出し、月を眺めていると、青白い光を放っていたそれがゆっくりと赤く染まっていく。紅花は月の色が変わったことに驚いて身を乗り出した。  次の瞬間、後ろから腰に手が回ってきて引き戻される。手の主は飛龍だった。 「軒車の中でくらい大人しくしなよ。落ちたらどうすんの」 「そんな間抜けなことしないわ」 「幌から顔を出すなんてことも本来は望ましくないんだよ。君みたいな非常識な子のことは縄で縛って連れてきた方が良かったかな?」  笑顔で恐ろしいことを言われた。飛龍なら本当に縛ってくるかもしれないと思い、大人しく座り直す。 「月が赤くなったのだけど、あれは何?」 「閻魔王が罰を受けた日は赤くなる」 「罰を受けた日……」  今日も帝哀は人を裁き、その責任を取ったのだ。  それであんな焼け爛れた顔に――。  想像した刹那、紅花の脳裏を過ぎった記憶があった。  あの月のように赤い血溜まり。両親の血だ。紅花の手には刃物があった。目の前にある鏡に、親の仕置きで焼け爛れた顔が映る。その顔は醜く歪んでいた。 「……っ」 「どうした?」 「……いえ、何でもないわ」  ――生前の記憶? 何故、今更。 (私にはもう不要なもの。一兆年以上前の記憶なのに)  記憶とは不思議なものだ。一切思い出せなかったものを、何かをきっかけに不意に思い出すことがある。
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