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帝哀は鬼も人も信用しておらず、宮殿には一人の使用人も置いていないらしい。そのため、三人の中で最も身分の低い紅花が茶器を片付け、掃除も行った。
あっという間の時間だった。帝哀の、声も仕草も表情の僅かな変化も好きだ。できることならもっと堪能していたかったが、帝哀にはこの後裁判があるらしいので無理に滞在し続けるわけにもいかなかった。
去り際、帝哀を振り返って言う。
「帝哀様、好きです」
帝哀は眉を潜めた。
「以前も聞いた。同じことを何度も言う必要はない」
「…………覚えていてくださったのですか? 私のこと」
「道案内をしてくれただろう」
――そんな、些細なことで。
帝哀の記憶の一部に自分がいることが、涙が出そうになる程嬉しい。あの時あの御花園にいたのが自分で良かったと運に感謝した。
「そういうところも大好きです」
「時間がない。余計なことを言うのであれば早く出ていけ」
「私は嘘を吐きません。帝哀様への気持ちが本当であると、必ず証明してみせます!」
意気込みを語るが無視された。
あまりしつこくしすぎても嫌われる。今日のところはこの辺で立ち去ろう……と踵を返し、待ってくれていた飛龍の元へ走った。
何とか追いついて飛龍の隣に並ぶが、飛龍は紅花のことを見ずに無言で歩き始めた。
(……何か、機嫌悪い?)
軒車までの道、一度も口を開かない飛龍を見上げる。
飛龍はわざとらしく大きめな声で言った。
「君を連れてくるの、もうやめよっかな~」
「はぁ!?」
ぎょっとして次の言葉を待つ。
「だぁってぇ~、君帝哀がいると一度も俺のこと見ないんだもん」
「……そんなこと?」
「そんなことじゃないよ。俺、王だし。そんな態度取られたの初めてだから気に食わないなぁ」
「……それは、失礼しました」
下手なことを言って本当に連れてきてもらえなくなったらまずいと思い、大人しく謝罪した。
飛龍はむっとしながら紅花の両頬を摘んで引っ張ってきた。
「い、いひゃい」
「君のその無礼な態度は一生変わらなそうだからもういいよ」
「謝ったのに……」
ふんっと鼻を鳴らして軒車に乗り込んでいく飛龍。さすがにそろそろ少しは敬意を示した方がいいのかもしれない。彼がいなければ帝哀には会えなかったという恩もある。今度何か贈り物をしよう。
軒車に乗り込むと、どこからともなく送迎を仕事とする鬼が現れ、車を持ち上げた。閻魔王の区域内は飛行が禁止されているため、門までゆっくりと歩いて移動している。
『ネェ』
門まであと少しと言うところで、何かの声が聞こえた。
その声につられて帳の隙間から外を覗くと、――時が止まったかのような静かな絶景が広がっていた。
まるで桃源郷だ。清らかな川が流れ、水面を金色に輝く魚が泳いでいる。一面、桃の花が優雅に咲き誇っており、花の香りが紅花の元まで漂ってきた。
『聞こえて ル?』
花の声だ。
『わたしたちの主ガ悲しんでいる』
主? と不思議に思い、目を動かして他に人がいないか確認した。
咲き誇る桃の木の下、身分の高い妃のみが手にできる桃色の傘を持った女性が一人、立っていた。闇に溶け込む程真っ黒な長い髪と、対照的な白い肌、不健康な程に細い手足が見える。
『助けてあげて』
軒車の移動速度が上がり、桃源郷が遠退いていく。
桃の花が主と呼んだ彼女は――月を見上げて泣いていた。
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