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ゆっくりと腕を上げ、長子は緩やかに舞った。帝哀の父の目を引きたくて身につけた舞いだ。幼い頃は必死だった。あの時の感情が父親への愛情のようなものなのか恋だったのか今でも分からない。しかし、彼を好きになったのは必然だったと思う。
長子は舞った。誰よりも努力してきた。どれだけ頑張っても心しか手に入らない人の気を引くために。〝純愛だった〟などとは、冗談でも言えない。互いに正式な相手がいながら、互いを何度も求めていたのだから。
長子は舞った。結局彼には一度もこの舞いを見せられないままだった。今この場に、あの人がいたならどれだけ幸福だったか。
長子は舞った。――――願わくば生まれ変わって、別の形でまたあの人と再会できますようにと願いながら。
その時、甘い蜜の香りがした。いつになく濃い、常に桃の木の様子を見ている長子でも驚くようなきつい香りが。
広場の向こうから、おどろおどろしい幽鬼たちが大量に飛んでくる。醜い姿をした狂鬼たちも、大きな足音を立てて向かってくる。幽鬼たちを引き連れるようにして、その中心を走っているのは――紅花だ。
(時間稼ぎは成功したか)
長子が他の妃よりも長く舞ったのには理由がある。もしも紅花の幽鬼集めが予定よりも長く時間がかかってしまった場合の保険として、舞いの時間を長引かせたかったのだ。
(花まで操れるわけではないだろうに)
心なしか、飾りの花まで楽しげに揺れているように見える。あの紅花という娘は、花をも味方に付けたらしい。
ようやく大量の幽鬼の存在に気付いたのか、舞いを眺めていた観客たちから大きな悲鳴が上がる。人々は慌てふためき広場から逃げようとするが、人が多すぎて互いにぶつかるばかりで前に進めないようだった。
そんな中、幽鬼たちを待ち構えていたように立ちはだかる一人の男がいた。――あれは、名高い元武人の魑魅斬だろう。かつてその才能を買われて前宋帝王直属の護衛として働き、周囲から酷く妬まれていた。結果的には、あらぬ罪を着せられ陥れられて、鬼殺しまで降格することになった人物である。
彼にあったのは軍才のみで、後ろ盾も高貴な血筋もない。そんな彼が罪人として扱われておきながら後宮を追い出されなかったのは、前宋帝王の図らいである。余程彼のことを気に入っていたのだろう。結果、彼は今でも宋帝王の区域にいる。
魑魅斬は、長子の幼い頃は他区域にまで名を馳せる程有名だった。彼ほどの武人は冥府にいないとさえ言われていた。
そんな彼が刀を構える。その凛々しさに心を打たれたのか、端に縮こまっていた各区域の鬼殺したちが広場の中心へと走り出し、皇后たちを守るように立ちはだかる。
騒ぎは大きくなっていき、鬼の死体の匂いが充満した。全ての妃たちが避難したが、長子だけは広場の中心のその場所に立ち止まって、冷静にその光景を眺めていた。
(本当は、本当に殺すつもりだったのだ)
長子の愛する人を死に追いやった、憎き帝哀。帝哀の命も、他の王の命もどうでもいい。最後に自分が愛する人に会いに行けるならそれでいい。そう思っていた。
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