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だから仕方なく、俺は地面に膝をついた。
膝と両手をついて頭を下げた。
額を土に擦りつけるようにしながら、「頼む」ともう一度告げる。
「ちょっと」
藍染が呆れたような声を発する。
「土下座なんかされたら、僕がすっごいワルモノみたいじゃない」
「……いや、悪者ではあるだろ。自分が何したか分かってんの?」
どうにも突っ込まずにはいられなくて、首だけ上げて言った。
「それが人にものを頼む態度かな?」
藍染が口の端を吊り上げる。俺は何故こちらが下手に出なければならないのかと歯噛みしながらも、ここでキレたら全てが台無しだと自身を宥めた。
「悪かった」
再び頭を下げて、藍染の反応を待つ。
「……で? それだけなら僕もう戻っていい?」
やっと返ってきた藍染の言葉は冷たいものだった。
「いいわけないだろ!」
ばっと顔を上げると、藍染は明後日の方を見ながら、いかにも退屈そうに耳を搔いていた。
「だって君の土下座なんて見てても別に面白くないし……」
「待て待て、あ、そうだ、聞きたいことがある!」
俺はとにかく藍染を引き留めようとして言った。実際、聞きたいことは山ほどあるのだ。
「なに?」
「俺への嫌がらせって、藍染がやってたんだよな?」
これに関しては証拠を掴んだわけではない。一連の出来事を振り返ってみての推測だったが、藍染は「そうだよ」と悪びれもせずに肯定した。
「僕の運命のはずの会長が、君なんかと番になったなんて到底信じられなかった。それに、どことなく君たち二人の態度には違和感があったし、君はカラーすらしたままだったしね」
「だから?」
「だから、君に揺さぶりをかければボロが出るかもしれないと思ったんだよ」
「……靴を捨てた相手の顔を見たって言ってたのは」
「あんなのただのでまかせだよ。単純な君はあっさり僕を信じたね」
藍染は小馬鹿にしたように笑うが、どこか露悪的な態度に思えた。
「俺に直接近づいてきたのは、探りでもいれるためか?」
「そんなところ。で、ある日君の鞄を探ってた時に薬を見つけたんだ。病院から処方された調整剤と抑制剤。その薬袋の備考に“番なし”の記載があった」
薬袋……。
そういえば二ヶ月くらい前、学校帰りに病院へ行って薬を処方してもらった。その際袋ごと鞄に入れっぱなしにしていて、数日後に気がついてピルケースに詰め替えたのだ。あれを見られてしまっていたのか。
「番なんて嘘だったんだと確信したよ。だけどそれだけじゃ、記入ミスだとかで言い逃れされるかもしれないし、証拠として弱いでしょう。だから薬を入れ替えておいたんだ」
「薬を入れ替えた?」
そこまでは予想していなかったため、驚いて声が大きくなる。
「気付いてなかったの? 見た目だけそっくりの栄養剤を用意して、後日君のピルケースの中身とそっくり入れ替えたんだ。これで誰にでもフェロモンを感じ取れるヒートが起きれば、化けの皮を剥げると思ってね」
どうりで、調整剤も抑制剤も効かなかったわけだ。
「香我美が君のストーカーをしていたことも知ってたんだ。だから君と会長の番契約が嘘だって教えてやった。時期が来たらあいつの首を噛ませてやるって言ったら喜んでたよ」
「……なんで、そんなこと」
「なんでって、君が邪魔だったからに決まってるでしょ。君と香我美が番になって邪魔者が消えれば、会長は僕のものだ」
そんなくだらない理由で、俺を壊そうとしたのか。番というものが、Ωにとってどれだけ大きな意味を持ち人生を左右するものか、同じΩである藍染に分からないわけがないのに。
「案の定君はヒートを起こした。大勢の生徒の前でフェロモンをだだ漏れにして、番が嘘だとバレた後で匿うふりをして香我美に襲わせる、っていうのが理想だったんだけど……さすがにそこまで上手くはいかなかったね。あとは君も知ってのとおりだよ」
俺は何も言わなかった。
「怒らないの?」
試すような、微かに笑みを含んだような口調で藍染が問いかけてくる。
憤りとか、後悔とか、簡単に騙された自分への情けなさとか、虚しさとか、あらゆる感情が渦を巻いている。それらを乗せて目の前の男を一発ぶん殴ったら、少しは気が晴れるのかもしれない。だけど俺はそうするわけにはいかなかった。地面に膝と手をついた格好のまま、土の上で拳を硬く握り締める。
「一つ聞きたいんだけど。君は“ただの同級生”のために、自分を嵌めた相手に土下座までするわけ?」
その問いに、俺は虚を突かれたような気持ちになって藍染の顔を見上げる。
「それは――だって、」
「だって?」
問い返されても、俺だって答えなんか持ち合わせていなかった。
ただあいつの、俺の肩にもたれかかって居眠りをしていた顔だとか、汗を流しながらボールを追いかけていた姿だとか、ばあちゃんに向けた笑顔だとか、そんな諸々が頭から離れなくて。あいつの傷つく顔は、見たくなかった。
「……もういい」
観察するような目でじっと俺を見下ろしていた藍染は、やがて諦めたように呟いた。
「君を見てると、僕自身を否定されてる気分になる」
「……なんだよそれ?」
「別に。ありのままを受け入れられない僕の気持ちなんて、所詮その程度のものだったってことだよ」
藍染は微かに自嘲的な笑みを浮かべて、独り言のトーンで零した。そしてすぐに、自らの前言を掻き消すように言葉を続ける。
「で、僕に口止めをしたところで、香我美の方はどうするつもりなの?」
「あっ」
「あっじゃないよ、バカなの?」
藍染はいかにも呆れたような溜め息を吐いてからこう続けた。
「香我美の家は、僕の父が経営する会社の下請けなんだ。言っただろう、親の関係で昔から付き合いがあるって。あいつは僕の言うことなら聞くよ。不興を買ったら一家丸ごと路頭に迷うことになるからね」
藍染の家のことは知らなかった、というより特に気にしたこともなかったが、やはりこの学園の生徒らしい家柄のようだ。
しかし、だからなんだというんだ?
目顔で問う俺に答えるように、藍染は続けた。
「あいつに言っておく、このまま昨日のことは口外するなって。それでいいんでしょ?」
問われて、俺は思わず「え」と声を上げてしまった。
「なに驚いてるの。取引だよ。会長の秘密を黙っておく代わりに、僕と香我美がしたことについては不問。これでいいんでしょ?」
「あ、ああ。それでいい」
俺が答えると、それを待っていたかのようにチャイムが鳴った。
「あ、授業始まっちゃう。戻らなきゃ」
藍染が校舎を見上げて呟く。
それから彼は「あとこれ、一応返しとく」とスタンガンを投げるように寄越してから、俺を置いてあっさりと去って行った。
俺はすぐに教室に戻るような気には到底なれなかった。暫しぼうっと、藍染の去って行った方角を見ていたが、己が未だ土下座の体勢であることに気が付いて立ち上がる。ちょっと足が痺れていた。
俺は何をやってるんだろう、と、不可解な気持ちが湧いてくる。
嫌がらせの犯人を捕まえて賠償請求してやるはずだったのに、相手に謝罪させるどころか、何故か何も悪くないはずの俺が土下座をさせられていた。全くもって不可解だ。
――でも、まあ、いいか。
土で汚れた手を払いながら思う。
何が決め手になって藍染を説得出来たのかよく分からなかったが、ともかく一件落着だ。きっと彼は約束を違えることはないだろう。
根拠はないが、直感的にそう感じていた。
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