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1. 約束
あの日は、冷たい雨が降っていた。
夕方の駅前の喫茶店。
友彦との待合せの時間は、とっくに過ぎていた。
(嘘だったの?)
来る、絶対に来てくれるものと思っていた。
なのに……
ロータリーから、市営団地行きのバスが出ていく。
改札を出て帰路に就く人たちが、傘を差して無表情に歩いていく。
救急車のサイレンが、かすかに聞こえる。
店の外のそれらすべての日常は、美千代の心に無関心に、静かに流れている。
(あと10分だけ)
そう決めて、残りのミルクティーを飲みながら、一週間前の夜のことを思い出す。
*
カラオケボックスの小さな部屋で、ランチをしながらひとしきり歌った後、友彦は、美千代を抱きしめながら耳元で言った。
「一緒に、東京へ出よう」
「えっ……」
「ずっと一緒にいたいんだ」
「……」
「いやなの?」
「そんなこと、ない」
「なら、どうして……?」
「……」
「わかった。君の気持ちが、そこまでじゃないのなら……」
ちょっと突き放すように言う友彦。いつも優しい彼がそんな言い方をするのは、初めてだった。
「待って!」
上着を持って部屋を出ていこうとする彼の腕を慌てて掴み、背中に言葉をかける。
「行く」
「ホントに?」
振り返った顔に、喜びが広がっている。
美千代は、黙って微笑を浮かべながら、大きく頷く。
友彦は、そっと一枚の切符を差し出した。そこに印字されていたのは、
『S駅17時発、上野行、寝台特急○○』
その個室だった。
「一週間後の月曜日。16時に、駅前の喫茶店Rで」
そう約束し、別れたのだった。
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