1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ

 まだ肌寒い朝の風を受けて、草の露が揺れる。  獣道の草を踏みつぶしながら、キラキラ輝く白装束に身を包んだ男女が滑るように歩いて行く。 「宗次、桜はまだ咲いていないみたい」  若い女の方が、こちらも若い男に向かって問う。  互いに息を切らせもせず、かなりの速足で歩きながら視線を周囲に配りつつ話していた。 「御霊(みたま)殺し・辛一文字(しんいちもんじ)が鳴いている。  開花は近いはずだ」  ボソリと(つぶや)くと、腰に携えた刀に手をやった。  G県白銀(しろがね)市。  かつては刀鍛冶(かたなかじ)の隠れ里として知られた土地柄か、今でも刀剣を携えた者が時折現れる。  山深く、剣術の修行に適した静かな村に、様々な流派が伝えられていた。 「それで、(ひな)は何を願うのだ」 「幼い頃の記憶を取り戻すの。  幻術の理を手に入れる代わりに失った記憶を ───」  白幻影術師・雛罌粟(ひなげし)は、18歳になるまで毎日修行に明け暮れた。  激しい稽古の最中に幻術が暴走し、自らの記憶を封印してしまったのだった。  宗次はチラリと雛の横顔に目をやった。 「俺は、もっと強くなりたい。  『桜の宝玉』などなくても、鍛えて鍛えて、鍛え抜く。  だからお前が使えばいい」 「石だ」  雛が鋭く叫んだ。  鏐ノ川(しろがねのがわ)巨石群に辿り着いたようだ。  大小さまざまな自然石が積み重なり、奇妙なバランスで立ち並ぶ様子から、神の力が宿るとされていた。  そして、桜の名所としても知られ、毎年数千本の桜が咲き乱れる。  その中に、目当ての「透明な桜」があるはずである。  ガラスのように透けた花弁(はなびら)を開き、中心には世にも美しい宝玉を付けるとされている。  毎年桜の季節に、何でも願いを叶えてくれる「桜の宝玉」を求めて人々が集うのである。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!