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居間に行くと、一人の老人が、こたつに入って横になっていた。灰色のセーターに、枯れ草色のはんてんを着ている。白い頭髪は薄く、顔にはしわが目立つものの、頬はふっくらとしていて穏やかな印象だ。いかにも一般的なお年寄りといった風貌だが、焦げ茶色の毛におおわれた丸い耳と、こたつからのぞくモフモフのしっぽが、彼が狸であることを語っていた。
健介は努めて優しい声色で、老狸に話しかける。
「狸のじいちゃん、大丈夫か? オレは健介。この家の人間だ」
老狸は薄く目を開け、健介を小さなまなこでとらえた。
「おお……わしは……何をしていたのかの? 腹が減って、気が遠くなって……もしや、助けてくれたのか」
健介は、少し離れたところで老狸の様子をうかがっている二人を指差す。
「じいちゃんを助けたのは、そこの権六……と、八ツ葉だよ。権六はじいさんと同じ狸だし、八ツ葉は狐だから、安心してくれ」
「そうか、世話をかけたのう……。どれ、休ませてもらったことじゃし、わしはすぐにでもお暇しようかの」
そう言って身体を起こしかけたとき、老狸のお腹から音が鳴った。腹の虫が己の存在を主張するかのように、それはそれは大きな音で。ぐぐぅ~と。
老狸はぽてんと再び倒れた。
「すまぬ……何か食べる物をもらえぬか……? 恥ずかしい話じゃが、腹が減って動けんのじゃ」
健介は権六を見た。権六はううんとうなって、健介に頭を下げる。
「俺は料理が苦手だし、狐野郎に頼んでもあのざまだ。同じ狸として、俺からも頼む」
「オレ、人間の食べ物しか用意できないけど、それでいい?」
健介が少し不安そうに尋ねたが、老狸はうなずいた。
「馳走になるのじゃ、文句は言わぬ」
「わかった。たぶん一時間くらいかかると思う」
台所に向かおうとしたが、そういえば老狸の名前を知らないことに健介は気づいた。せっかくもてなすことになったのだから、ずっと「狸のじいちゃん」ではよそよそしい。
「ところで、じいちゃんの名前は?」
「伊三郎じゃ」
「じゃあ、伊三郎さん、お茶でも飲んでゆっくり待っててくれ」
あとはよろしく、と権六に目くばせをして、健介は居間を出た。
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