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健介と八ツ葉が料理の支度をしている間、権六が伊三郎の茶飲み相手をしていた。
「空きっ腹に飯ぶち込むの、身体に良くねえからな。これで胃ィあっためてくれや」
権六が二つの湯飲みに茶を注ぐ。山の自然の荒々しさを体現するような見た目とは裏腹に、その手つきは丁寧だ。明るい黄緑色の茶からほんわりと、やわらかな湯気と香ばしい香りが立ち上る。伊三郎は行儀よく、両手で湯飲みを持って、ゆっくりずずー……と茶をすすった。
「しみいるの~」
「そういや、なんであんたはこの山に来たんだ? 特にとがめることもねえが、気になってな」
権六の問いを受けて、伊三郎はかたわらの水色リュックをごそごそと漁り、地図を取り出した。日本列島が描いてあり、十ヵ所ほどだろうか、ところどころに赤い丸のシールが貼られている。
「妖怪のお仲間たちに会いたくての、旅をしておるんじゃ。昔の知り合いに、その土地で名の知れた者、それと若い妖怪にも会ってみたくてのう」
「旅の途中でこの山に寄ったってわけか。でも、なんで行き倒れてたんだ?」
伊三郎は気恥ずかしそうに頭を掻いた。心なしか顔も少し赤い。
「そのー……きちんと食べ物の用意をしてこなかったんじゃ。わしは狸じゃから、山に入って木の実や山菜など食べればよい。そう思っておった。じゃが……こちらのほう、つまり、北に来てみたら、まだ雪が残っておるではないか。野草や山菜は見当たらず、かろうじて食べられそうなものは口にしたものの、量が少ない。そういうわけで、あのような無様をさらしてしまったのじゃよ」
「なるほどな。たしかにこの時期、このあたりは食えるもんが少ない。準備してなかったら、そうなるわな」
「人間の店……コンビニや牛丼屋にも行ってみたんじゃがのう、機械の使い方がわからなくて、あきらめてしまったんじゃ」
「ああ、今はタッチパネルとかセルフレジが多いもんな。旅を続けるなら、使えると便利だ。あとで教えてやるよ」
「よろしく頼むわい」
「その前にしっかり腹ごしらえしねえとな」
権六は台所のほうを見やる。健介の作る料理はうまい。伊三郎の腹を満たすのは最優先として、できれば自分も相伴にあずかりたいものだと、権六の期待もひそかに高まるのだった。
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